「そして日本」を終えて

ワークショップ「そして日本」へのたくさんのリアクションありがたく思います。私にとって、生きている内になんとしてもやっておきたかったことだったので充足しています。おふたりはやっぱりすごかった〜。
 
 
久田さんは、中世の呪術とおっしゃいました。多くの聴衆の心を刺激したものは、呪術の記憶なのか。より簡略に言うと「仏教以前」の記憶にも関係しているかもしれません。日本人はすなわち、仏教徒と大ざっぱに括られることも多く、葬式、お墓、お寺の影響は染みています。
 
 
 
しかし、仏教渡来以前に長い長い歴史があり、そこには霊もお化けも親しいものだったかもしれません。その記憶が文化的遺伝子(ミーム)として私たちに中に「つづら」のように積み重なっているのかもしれません。つづらの先頭が現代。現代がどんどん溶けていくと段々と昔の記憶が甦ってくる。
 
仏教の影響の薄い東北、北海道、宮崎、鹿児島、沖縄を考えると、例えば舞踏の土方さん(秋田)、大野さん(北海道)、五井さん(北海道)、アイヌ、瞽女さんなどを思います。南で言えば、ユタなどのシャーマンが息づいています。ダイナミックな、ねぷた、ねぶた祭りなどは、わびさびの日本とは言えないでしょう。また、山水草木すべてに神が宿っていると思うアニミズムやお天道様を拝むとか、が、多くの人に自然に納得できるのも改めて考えて見れば不思議です。
 
 
私たちの「つづら」には何が詰まっていて、その一番の根本は何だろうか?という興味は止めようがありません。いろいろ判明して最後まで溶けてしまうと何も無くなってしまうのも示唆的とも言えましょう。おどろおどろしさ、いかがわしさ、など避けて通りたい所に、ショートカットしてアクセスしてしまう、時の流れを止める、そこに芸能の役割があるのかも知れない。そして即興にこそその点で有効な方法であることを身体は知っています。そして、避けて通りたいというのは逆に言えば興味があるということ。
 
 
音楽、ダンス、詩、美術、なべてその役割を負っていると思うとわくわくします。また、そこにはハンディキャップも病人も、両性具有も、LGBTも何の差も無く立っている、いや、より多くの役割を持っているのかもしれない。土方さんの疱瘡譚、韓国の病身クッ、などはハンディキャップや病気を取り扱っています。検校(盲目の演者の最高位)のことも沢井さんの会で少し触れました。
 
 
即興演奏において、つづらの太いあたりの景色が不意に見えてきたり、甦ったりすることも起こりやすいのかもしれません。それは伝統奏者も現代の奏者にも差はない。そして民族を越え、西洋人でも、アフリカ人でも共有する部分があるのでしょう。
 
 
おふたりに共通していたのは、権威に頼らないこと、理屈を信じないこと、興味のあることには何があっても参加すること、などでした。そしてそれはダウン症の矢萩竜太郎さんにも共通することでした。
 
 
 
当分多く人の心で騒ぎ続けるであろうトピックをたくさんいただきました。ありがとうございました。