そして日本。その2。久田舜一郎さんを迎えて

「実は、何を隠そう私は天才のなです。」で始まりました。テッちゃん、ついに壊れたか・・・ハハハ。

久田さんが「サイトウさん、先に行ってちょっとしゃべっておいてください」とのことで話し始めたのですが、まさか、こう切り出すとは自分でも思いませんでした。

「何の天才か?人と出会うことの天才なのです。」

先週と今週の特別ゲスト沢井一恵さんと久田舜一郎さんは、普通に暮らしていたら会える機会もほとんどなく、まして、トップの人なので、業界にいたら雲の上の人なので会えても会話などできない。

ところが、そんな事情も知らず出会ったので、はじめから普通のコトバでしゃべりました。

おふたりにとっても、普通のコトバで普通に話す相手はもはや、なかなかいないので、珍しく思ってくれたり、かえって本音で話せたりする(らしい)ので、時には役に立つようなのです。

出会いの天才は、出会ったこと、知り得たこと、共有体験を次の人へパスしなければなりませぬ。それも自分なりのやりかたでボールを磨いてから受け取りやすいパスを蹴る。

私がこういう状況ですので、まだまだ磨き終わっていませんが、ともかく居なくなる前にパスを回したかった、誰か受け取ってくれ〜!というのがこの「そして日本」のワークショップの願いでした。

そしてそれは成功!だったと思います。先週ご来場なさって、今週も追加で来場なさった方が多かったこと、なにより客席の熱気と集中力でわかります。

中身については何かの形で披露したいと思います。ともかく、なにかスゴイこと、ビックリするようなことを話してくれるというより(実際話してくださったのですが)、そこに居るおふたりの口からでてくる言葉を共有している、一緒に居る、ということに価値があったような印象です。

当分は「よかった〜。」とか「すごかった〜」とかしか言えない感じです。

進行役・聞き出し役の私がそれでは困るので、多少は客観的になるように努めます。今回も貼付のようなメモを久田さん、皆さん、スタッフにお渡ししました。

いろいろとシミュレーションしましたが、予想を越えて印象的だったことがいくつもありました。

久田さんが「呪術」というコトバを多用していたことです。掛け声も呪術、エンターテイメントでない(拍手がないこと)こともそこに関係する。面も呪術、神をお迎えして、お送りする、のも呪術、死や霊がでてくるのも呪術、神の豊饒を皆に分けるのも呪術などなど・・

揺れ(揺り)、振動、伸び縮みの中で呼吸やリズムをつかんでいく、コトバの音律も同様などもトピックをまたがる大きな捉え方として面白かった。謡のビブラートもとても長く、深い。

身体の7割が水である人間には、振動が、色として、音として、光として作用する。また、揺れることは混ぜることで、純粋から離れること、ルーミーの回り続けるダンスなど想像が膨らみます。

呪術といえば、昨年の信濃大町原始感覚美術祭の時にマレーシャーマンのザイ・クーニンと久田氏が共演した時のことが甦ってきます。ザイはパフォーマンスをするというより儀式をしていました。効果的にダンスやパフォーマンスをするのではなく、ヴェネツィアビエンナーレで創った「籐のボート」を結ぶのに使っていた朱い紐を舞台にまき散らしていました。いろいろな意味を込めていたのでしょう。

その時も、あるいは、いつでも、久田氏は、能楽師として、演出家として突出したパフォーマンスをしていたと思います。(私はなにしろ身体がギリギリでした)。ザイと比較して久田氏は芸の洗練、レベルの維持・向上を常に抱きながらも、なにか突発的なことが起こったら進んで関与していくという姿勢だったように思います。

また、関西人特有なのか、実を重んじる姿勢に感銘を受けました。舞台の現場で何が起こっているのかだけが勝負。能と言う芸能にいかに権威付けをしても認めない(世阿弥でさえ権威付けが臭いとおっしゃる)、どんな理屈を言ってもダメ。それはハッキリしています。

関東(東京)は、いまだに権威や見栄がまだまだ幅を利かせています。それに対して、実を重んじる態度は、関西のダンサーの即興の盛上りにも同種のものを感じました。「ブルース」なのかもしれません。韓国の恨にも似て、フラメンコのドゥエンデにも似て。

久田氏は「下手な演技をしたら、次から呼んでもらえなくなる」という戯けを何回もおっしゃっていました。

帰途から肋間の痛みが走り、つい先ほどまで何もできませんでした。それでも良いのです。これしきの痛みと引き換えにこの2つのワークショップができたとしたらジョウトウ(上等)じゃないか。

ゲストの矢萩竜太郎さんは、即興演奏の前提(周りにある全ての情報を入れて自分を反応させる、決して自己表現に堕ちない)を見事にはたしていました。そこには「日本」も「伝統」も全く「無い」し、全て「有る」とも言えるでしょう。彼の個人的な到達点でもあるでしょうし、ハンディキャップのギフトなのかもしれません。それはキャンサーギフトにも似ています。

さてさて、次は、いよいよ、2年半のワークショップをまとめた本の執筆かな?プレパランセ! 退路を断て てっちゃん!君には時間があまりないようだ。