スロッギーのワルツ完成披露ライブ終了

欲というものはキリがないです~。

この所で言うと、第1回「いずるば」フェスまではなんとかと願い、庄﨑さん泰子さんとの映像を残すまではと願いライブを行い、みづ紀さんの参加した映像が撮れればと願い、沢井一恵・久田舜一郎さんをまねいたワークショップが終わるまでと願い、DVD完成披露ライブまではと願っていて、すべて叶いました。なんて運が良いんでしょ。こういう生きる欲に支えられてヒトは生きてきたのでしょう。

ともかく私はこういう「~までは、生きよう」という欲に支えられて半年サバイバルしました。このまま続くとは思いません。それほどノーテンキではいられないことを身体が教えてくれています。29日のエアジンブッキングの時は、ホンキで泰子さん・ウメモトさんに相談しました。「私が居ない場合はどうする?」他のベーシスト、ピアニスト、ギタリストなどを探してリハをしておこうか。この歌企画は、何らかの楽器のサポートがないと歌えないのではと思われました。

しかし、なかなか、必要以上の興味を持って、全身でやってくれそうな奏者は見つからないものです。結果、泰子さんが自らピアノの弾き語りをするのが一番良いかな?などというところで時間が流れていき、なんとか終了。今回は、終わってしまえば、全て良しとばかりはいきません。一期一会。

とりあえずDVDができたので、それを見ながら自分のものとして弾いてくれる奏者が現れ、庄﨑さん、泰子さんと相性が良ければ存続可能だろうと思います。まあ、今は、このライブが実践できたことを喜びましょうぞ。

同じような演目がドイツでやっているダンスシアター「私の城」です。これも全身で関わらねばならないので「代役」を頼むよ「はい、了解、」というものではない。居なくなるにもキチンとしておかなければならないことが多いです。バール・フィリップスさんは見事です。住宅、楽器、資料をキチンと処理して、現役復帰して活動中です。スゴイ。

楽譜により多くのものを書き込めれば良いのですがなかなかそうも行かないようです。以前、信頼するアコーディオン奏者に私の代役をお願いした時(宮沢賢治・土神と狐)、楽譜以外につたえるものが膨大にあるのに驚いたものです。でも、楽譜ももう少し整理しておきますね。

一方、そんなこと気にしないで置けば良いという考えもあります。自分が居ても居なくてもこの世はなんの過不足なく回り続ける。先日施術していただいた野口整体の施術部屋(晴哉さんの家)に「天行健」の書がありました。心揺さぶられました。

ともあれ、音楽と音と言葉と詩とダンスと所作は切っても切り離されないものです。切り離されてしまった状態が当たり前の今、それを繋げるのは、「ままならぬ」身体をもった人達(ハンディキャップ、病人、統合失調症など)なのではないのか、と秘かに思っています。