一瞬

まるで日常そのもの、を舞台でつくるには膨大極まりない情報が必要です。日常は膨大な情報の中に流れていて過去と未来を結びつけながらも、しかも実体はありません。

なんでもない日常を舞台で作り上げるために膨大な努力をし、その場で生まれたような音楽を奏でるのに膨大な準備をする。嘘はすべての人に瞬間に見抜かれます。

それでも人々は鷹揚に看守り、演劇空間・音楽空間を楽しみます。演者の努力に拍手を送ります。「それ」が起こった時に、「できたね、うれしいよ」と言いたいために待ちます。自分のためでもあるのです。それを実感したいためにコンサートホール・劇場・ライブ会場・展覧会に通うのです。

スティル写真は一瞬(決定的一瞬)をとらえ、その後、起こらなかった可能性を発見させます。音楽もダンスもその一瞬の積み重ねです。その一瞬の先には多くの可能性があったのに、1つを選びました。その連続ですから情報量は膨大になるわけでしょう。

選び取った現実とそうでなかった可能性。
音になったものと音にならなかったもの。
ダンスになったものとその動きにならなかったもの。

それら全てを合わせて現実があります。
デジタルでネットで、情報を交換して満足してはいけない理由です。

さらには、出会っていても、言葉によるコミュニティは全体の7%にすぎないと聞きました。

忖度を悪く言ってはいけません。人の基本的生きる知恵。