「いずるば」ワークショップ第0回はこんな感じでした。

「いずるば」ワークショップって、いったいどんな様子なのか?聞かれますので、文字起こしを参考に第0回の流れを書いてみます。

参加者みなさんの積極的で興味深い発言が場を作ってくれたことを強く感じます。

第0回の流れ:

このWSに何を求めるか?を自己紹介・徹との関係などを含めて一人ずつ話してもらう。
→それぞれの目的により多角的に要望が具体的に示され、場が盛り上がりました。

私が現在の病気の告知から現状までを報告

「いま・ここ・私」の純度を上げていくことによって「今で無ければ」「ここで無ければ」「私で無ければ」できないことを行うこと(刻むこと)で究極的に「今でも、ここでも、わたしでもない」ところへ到達するのではないか?
例として
「川に流されている状態」=今も、ここも、私もない
立ち止まってみる
そこで初めて「今」が出現、「ここ」が出現、「私」が出現、する。
そこには微かに「ノイズ」が響いている。

そのための拠り所としての「身体」。身体は、38億年の生命史の結果で、自分のものではなく「自然」そのもの。そこに聞けば良い。

「こころ」も、案外自分のものではない。

聞く方法として、ある人は音だし、ダンスだし、美術だし・・・と考える。

「自己表現」との違いは?
「捧げ物とエンターテイメント」の違い?「祝祭」に絡めて。
「場」をつくる仕事と「演奏」のみの仕事との違い。伝統芸能・武道・仏教・神道などに絡めて。

演奏する=自分が最初のリスナー
しゃべる=自分が何を言うのかを聞く行為
楽曲演奏と即興の違いを絡めて

私の還暦ソロライブの時、バッハの6番を締めの曲にしたのですが、破綻してしまった事件から、演奏は一体何を伝えるのか?破綻したことが1番の記憶になっている=なぜ?音楽は音楽を伝えるのでは無い?

効果的になろうとする人間の行為・作為工夫は原子力を生んでしまった。
(この辺りで2時47分が過ぎていました。6年前をそれぞれがふり返りました。)

消費文明の中の私たち。そして表現。

狙ったものは、それ以上には決してならない。
「起こった」ことをそのまま受け入れると一体感はより深くなる。

ダンスのとのコラボレーションの時、お互いを観ながらするか、わざと観ないようにするか、の違い。ミラーニューロンに絡めて。

すでに描かれた絵の前で演奏する、ライブペインティングで演奏する、違い。
描いたときのインスピレーションは同じ。共有できるのでは?

佐藤万絵子さんもいらっしゃっていたのでアサヒアートスクエアでの共演について。

良い即興とは?
良い演奏とは?
正しい即興などということは罠です。

即興演奏の批評をして欲しい。ここがどうだった、とか。

プロとアマの違いは?
即興演奏を言葉で伝えることは?
さまざまなレベルの即興があることはハッキリ意識する。

さて、4月1日から第1回が始まります〜。