自分欺し

常に終わりなきかのごとき対副作用(耐副作用)の「ふんばりどころ」が続いておりますが、「自分欺し」は、成果を上げているのではないかと思います。

現在の自分欺し:

私(齋藤徹)というニンゲンは、時間が出来れば常にコントラバスでバッハを弾き、「いずるば」ワークショップの事を考え、いくつかあるライブの事を考え、4月後半のドイツでのダンス公演のことを考えるニンゲンであると、私と私の分身(キャン)に納得させ、当たり前とさせるのです。

別に、嘘ということはなく、本当の事です。

でも

大違い

です。

11月の入院以来、重ビョーニンとして生きていた時は、その「役割」が私自身であると、私も周囲も納得・当然として(デフォルトとして)世の中が回っていました。私は無意識にしっかりその「役割」を演じていました。楽器に4ヶ月も触らず、今後の治療日程・手術の可能性をあれこれ考え悩み、気晴らしに大量の音楽を聴いたり、多くの本を読んだり、絵に描いたような重病人ティピカルな役をやっていました。そこに何の不自由も何の齟齬も嘘偽りもありませんでした。

パソコンでの通信・投稿に必要なエネルギーと、倦怠感の中でもどうにかできるエネルギーがだいたい同じなので、ネットを多用していました。

ところが

です

今回の「自分欺し」を実践してから、当然のように、毎日楽器を弾いています!毎日「いずるば」ワークショップの事、ライブ、ドイツの事を考えています。呼吸したり、食事したりと同じレベルの当たり前のこととして実践している自分を発見するのです。

これもギフトなのでしょう。新たな発見です。

こうやってニンゲンは生きていく、これがニンゲンの生活であり、命であり、歴史であった!・・・のかもしれません。

見つけた!永遠と1日の過ごし方!