入院と巡り合わせ

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今朝、東京湾沿いの病院に無事入院しました。実に眺めが良いです。風力発電が回り、ユリカモメが無人で運転し、オリジナルなデザインのビルが林立。まるで未来都市のようです。明日から化学療法を試してみる予定です。
 
実は、この病院には十数年前に来たことがありました。李七女(イ・チルニョ)さんという韓国の伝統音楽家・舞踊家のお見舞いでした。
 
舞踏家の工藤丈輝さんと若林淳さんは七女さんとよく共演をしていてロシアツアーなどもしていたとのこと。音源として李さんが私が参加した「神命」(金石出・安淑善・李光寿・徹)をよく使っていたとのこと。
 
この録音はいろいろな想い出があります。金さん(巫族・シャーマン)安淑善さん(国楽)李光寿さん(農楽)のそれぞれの大スター達が一堂に会した記念すべき録音でした。巫族は音楽的には尊敬されているのですが、韓国社会の中では被差別者なので、共演することは憚れていました。しかし伝統音楽の元はすべて巫族にあるのです。また、楽譜や書籍で残っていないので生きている金石出さんからはみんなが習いたい・共演したいのでした。
 
そんな状況の中、日本人の私が来たので「それならば共演してあげようか・・・」という理由付けになり実現。案の定、大変評判になり、私の一家が韓国旅行に招待されたり、翌年は中央日報社大ホールで再演セッションがありました。(ユーラシアン”弦打”エコーズという私のシリーズの名前をつかってCD化されています。沢井一恵・板橋文夫・李太白も参加)。
 
私の拙い音楽のキャリアの中でも最大の出来事の1つでした。それまでフリーインプロヴィゼーションの優等生的+フリージャズの激しさを加えたような演奏をしていました。小道具だけで大きな荷物になり(ブリキ板・巨大ねじ・ビー玉・電気あんま・モーター、数々のイフェクターなどなど)、楽器自体を作ろうかとさえ思っていました。いわば不遜きわまりない若者でした。効果ばかりを求めて、ビックリさせるようなことばかりやっていました。効果があればあるほどこころは少しずつ荒んでいたのに気がつきませんでした。
 
それを是正してくれたのが韓国伝統音楽とくに金石出さんたちの音楽でした。どんなに効果がなくても、人の行為として、アコースティックで音楽をするのです。願いを込めて、人の役に立つように。音楽は要素を集めたものではない、2小節だけのリズムパターンでも理由があり、願いがあるのだ。西洋や日本天才演奏家達がオリジナルな音を磨いて、健康を害したり、早くに燃え尽きてしまうのではなく、音楽を演奏して身体もココロも良くなっていく、それをみんなと共有する。
 
それに気がついた大きな転換期でした。
 
話を戻します。
 
 
李七女さんが私の音楽を気に入って使ってくれていて、李さん・工藤・若林のトリオが日本で公演を考えたときに私をゲストにということになり神楽坂の劇場で公演予定となりました。ところが李七女さんは末期ガンで本番に出ることが出来ませんでした。
 
工藤・若林・徹で実施し、ビデオを届けようということでこの病院を訪れたのです。三人で企んで私が楽器を秘かに持っていきました。とりあえずお見舞いをしてビデオを渡し、それとなくここでみんなで演奏しない?という話に持って行きました。私は「たまたま楽器持ってますよ」というウソをつきました。たまたまベースを持ってお見舞いにくる訳はありません。
 
さて、病院の許可もすぐに下り、ちょっと大きめなフリースペースで演奏会をしました。李七女さんも楽器を用意。入院患者さん、看護師さん、医師も集まってそれはそれは楽しい会でした。(その頃、七女さんはもうモルヒネを使う状態ですぐに亡くなってしまいました。)窓から見える東京湾とカモメ、羽田空港を離陸するジェット機をずっと覚えていました。
 
 
そこに今度は私が入院ということになりました。なにかの巡り合わせでしょう。

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