コントラバス地位向上委員会

コントラバス地位向上委員会(その昔、生活向上委員会というバンドがありました。それになぞらえて。)
大ざっぱに音楽の在り方を2つに分けてみます。1つはお祭り、喧噪のなかで成り立ち、堅苦しくなく、踊りも誘発し、食ったり飲んだりしゃべったりもOKなもの、もう一つは問うたり、待ったり、試したり、願ったり、託したりするもの。どちらが良くてどちらが悪いと言うものではありません。
今日、書くのは後者の場合です。
私は現在ほとんど自分のプロデュースかそれに準ずる演奏しかしていないので、あまり感じませんでしたが、お呼ばれして演奏する機会があるとコントラバスにとってのさまざまな障害に出くわします。コントラバスの地位を上げねばいかん、ということをまざまざと感じます。とりあえず音の大きさのことです。
なにしろあんなに大きなものを自力で運んで演奏します。運ぶことが演奏活動の半分だ、と言う仲間もいます。納得です。仕事を決める前に、まず、どうやって運ぶかを考えます。車の場合は、渋滞しないルート、時間帯を考え、近隣の安い駐車場をネットでしらべます。
飛行機、新幹線の場合もハードケースレンタルやスペースのある号車に乗せるべく早めに指定券を買ったり・・・。近隣のライブなどでは電車で運ぶ事もあります。行くときはサラリーマンの帰宅ラッシュ、帰る時は終電の心配と酔っ払い対策。酔っ払いがぶつかってくることは本当に多いのです。郊外に帰る場合の私鉄は終電近くはたいてい満員です。
音でいうと、コントラバスは屋内の響きの良いところにしか適していません。音楽スタジオでコントラバスが「特殊楽器」扱いになってすでい久しいのです。現状では、ベースと言えばエレキベースの事を指します。時代への適応不順の烙印を押されています。
そんな状況でも、ありあまる魅力!!ゆえ、コントラバスを使おうという場面が有ります。しかし相手がグランドピアノだったり、ドラムセットだったりすると大変です。現状で主役級のそれら楽器達は、コントラバスの音量に合わそうなどとは一切考えもしません。あちらに合わせて、コントラバスの音を大きくするのが当たり前。
マイク、スピーカー、アンプなどの機材が揃った環境ならばまあ許せる範囲で拡声はしますが、あまり良い環境で無いと、ピックアップとベースアンプで大きくせよ、という羽目に陥ります。ベースアンプというものは本来エレキベース用に開発・発展しています。あの大きな楽器本体が十全に鳴り響く必要はないどころか、鳴っては邪魔なのです。
良い設備があってさえ、コントラバスの音をそのまま増幅するのはエンジニアにとって至難のことなのです。エンジニア泣かせの代表なのであります。(しかし、上質の真空管アンプでブーストされたベースの音はそれはそれで良いなと思うこともありますよ。私はやらないだけです。)
とりあえず、コントラバスの音を上手く捉えるマイクやプリアンプ準備します。必要悪としての機材ですが、やはり高価なものでないとあまり意味が無い。相談できる人もほとんどいない。使うか使わないかわからないものに多額の出費。2~3年使ってないとアンプは通電しない!こともあります。実は私、今、その状態。
苦労して何とか現場に到着し、音チェックが始まるや、「ベース聞こえないよ!ボリューム上げてよ!」という一言で「終わり」ます。そういう場合、「歪んだ」音でないと届きません。歪んでいない伸びやかな音は大きくしても太鼓やピアノの音に全部吸い取られてしまいます。そして「ちいさな」音が使えません、というか出ません。無音からのダイナミックスが無い。
結局、犠牲になるのが「音質」です。しかし、しかしです。この「音質」のためにこそ、私たちは何十年も修練し、工夫し続けています。弦、弓、松脂、セッティング、すべてこの音質のためです。
例えば、タンゴ楽団での演奏では、現状の仕事の在り方としてバンドネオン、ピアノ、ヴァイオリンという最小単位の演奏がよく行われています。経済的にも仕方の無いことでしょう。ベースラインはピアニストの左手でカバーできます。コントラバスが使われる時も、普段と同じレパートリーですので、ピアニストはいつも通り演奏をします。するとピアノとベースの音が完全にかぶります。微妙なニュアンスは二の次になってしまう。音色とダイナミックスでニュアンスは作りられます。(熟練したピアニストは即座に最低音を省いてくれ、ホッとしますが・・・・。)
そんな場合でも、リハーサルを個人宅など小さな空間でやると、コントラバスの音色を皆が自然に聞き分けてくれ、とてもやりがいのある時間になります。しかし本番になると、音量のみが求められてしまいます。そこで失われるものの多さを痛感するのはコントラバス奏者ならではかも知れません。
長々愚痴りました。
そこで提案はコントラバスの地位を上げましょう!
そのためには他人に期待してはイケマセン。何と言っても、多くのコントラバス奏者がリーダーとなる必要があります。より多くのコントラバス奏者がリーダーとなり、音の基準をコントラバスにして、小さな音から、いや、無音からの音色を最重視した音楽を作っていくのです。音色とダイナミックスは切っても切り離せないことを思い出させるのです。
多くの聴衆にいっぺんに聴いてもらうための大コンサートは、資本主義の正統な要求でしょうが、コントラバスリーダーの音楽では、人々の顔がわかる程度の大きさでないとムリです。いわば、資本主義に挑戦です。良いじゃ無いですか。
ちょっと運ぶことさえ、世の中ですんなりとはいかないコントラバスは、逆に見れば、世の中のありさまをよく見るための優れた道具なのかも知れません。
コントラバスリーダーの音楽は、いままで「当たり前」と思われていたことに対して、多くの質問を投げかけるのです。みんなでいまこそコントラバス地位向上を叫びましょう!オー!なんてね。

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