北への旅(後)

皆龍寺での演奏後、Tさんの山小屋で打ち上げ。Tさんの山小屋は、同世代の若者(?)の秘密基地、しかもみんなの力を合わせた自作、どんどん良くなっていくと言います。真壁仁さん、松永伍一さんらとともに農民文学運動を繰り広げていたSさん達の集会所でもあります。今現在は、万葉集研究を定期的に行っていると言います。
ともかく元気、ポジティブ、独立、ほがらか。本当に羨ましい仲間達です。Tさんは今宵の宴会のためにコンサートに来ず、バーベキュー、生ビール20リットル等の準備をしていたそうです、ハイ。ひとりひとりの感想も聞かせどころ満載。この集まりは、絶対に、簡単に出来上がったものではありますまい。数限りない試行錯誤の結果であることは間違いありません。それだけに,決して壊れようもない。
イメージ 1

翌日,午後、避難所へ行きました。山形は南相馬市からの避難を多く受け入れています。南相馬市は地震・津波により福島県で最多の1000名以上の死者・行方不明者を出してしまったところです(人口7万人)。本日訪問した避難所には、妊婦さんと新生児が9家族滞在していました。多くのご主人はウイークデイは仕事で福島へ行っています。私としては、ともかく、対面しても何を話して良いかわかりません。
イメージ 2

胎内血流音の話や、倍音の話などをしつつ演奏を進めていきます。生音でボーッとして欲しいと思いましたが、子供は都合良くおとなしくはしてくれません。それが当たり前。それならば、と子供を共演者として彼の動きに合わせて演奏したり、子供のオモチャを拾ってそれを使って演奏したりします。心は願いで一杯、演奏も精一杯でした。
避難所を後に天童の蕎麦店「吉里吉里」へ移動。あいにくの雨模様ですが、古い屋敷を改造したこの場所は音が良く大変助かります。こだわりの蕎麦はなまら美味。営業は毎日午後3時くらいまで。バッハやジャンゴ、グナワなどなど珍しい演奏曲目になりました。山形はブラジル音楽が大変盛んであると見聞きしていましたので、ブラジルものも付け加えました。
イメージ 3

長年いろいろなところで演奏をしてきて思うのは、その場にはそこのオーナーに似た人が集まるということです。ここでは心は自由、ものにはこだわりという人達が集まっていたように思います。
急遽始まった打ち上げではご主人と奥様の話も聞けました。世界を旅していた若い頃の話、音楽への造詣は大変深いことはすぐわかりました。滅多にない日本酒もいただき夢見心地。ともかくソロで無事に勤めを果たした安堵感で酩酊気味でした。
翌日、仙台の海岸沿いを走りました。言葉を失うとはこのことかと思いました。まだまだ瓦礫と廃墟、つぶれた自動車、陸にあるボート・・・・。和合さんの詩集は、朝、amazonに頼むと夕方届くのに、110日経ってもこの状態。
イメージ 4

イメージ 5

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です