あれから4ヶ月

震災関係で3つ
笹塚ファクトリーで「被災地の舞台芸術家を支援するフェニックスプロジェクト」に参加。福島県伊達市の布団屋所有の蔵が崩壊しその中から出てきた繭袋が小林裕児さんのところへ送られてきたそうです。以前からこの素材を求めてきた小林さんに託されたカタチになりました。
その紙を貼り裕児さんがライブペインティング、私の音と上村なおかさんのダンスで40分のパフォーマンス。
表現活動をしている人間にとって、この震災・津波・原発のことを、自らの表現手段で何かをしないといられないと思います。しかし、それぞれ、その方法と時期と場所とを探しているという感じなのだと思います。私は東北でのソロツアーで、ひとつ経験をさせてもらいました。
これだけはやっておかねば、という作業が進行中なのだ、ということがひしひしと伝わってきます。逆さづりの男は、裕児さんがよく使うモティーフですが、今日の男はちょっと違う。目が違う。もしからしたら死んでいる?最後に描いた赤い足かせが象徴的でした。なおかさんのダンスは共演者との距離の取り方が独特です。「踊りながら何回も生まれ死にました。」という感想をおっしゃっていました。
私は、4月16日のポレポレでやったベースアンサンブル+Skypeによるジャンさんの時に、捕らわれてしまったイメージがありました。自分は流されたのか、生きているのか死んでいるのかわからないのですが、仰向けに見上げる空はあざやかな青。相棒のベースの横に横たわっている。その後のベースアンサンブルで何回もみんなでやりました。会場の雰囲気とお二人の共演者からまたそのイメージに捕らわれて、また横になった私でした。
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義捐CD発売
ある人の結婚式の引き出物のために喜多直毅さんとさとうじゅんこさんと録音した私家盤CDについて、以前にブログで取り上げたかと思います。そのCDがいろいろなところで拡がり、東北の舞踏家はこの音源をつかって被災地で踊り続けていると言う話です。結婚した本人が、思い立って、装丁とライナーを替えて義捐CDにしました。私も預かっています。ご希望の方はご連絡くださいませ。
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3月11日に予定されていたライブがありました。車で向かったのですが、大渋滞のため辿り着けず、そもそもライブ会場も大変な状況だったそうです。日本中、いや、世界中、できれば3月11日以前に戻りたいのですが、覆水盆に返らず。しかし、出るはずだった音は出しておこうと8月28日に同会場ビッチャーズ・ブリュー(http://bitchesbrew.web.fc2.com/)で午後5時から演奏することにしました。共演の古谷さんがポルトガルに帰る前に是非やっておきたかった。
共演:古谷暢康(サックス、その他)
横浜市神奈川区西神奈川3ー152ー1 プリーメニシャン・オータ101(東横線 白楽駅)
電話:090ー8343ー5621

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