北への旅(前)

北への旅はいつも、試される旅になる。
喜多直毅さんの洋行はわかっていた。さとうじゅんこさんが喉をやられてしまい、不参加。本人からの電話の声がたいへん痛々しい。一番辛いのはご本人だろう。ソロでやることにする。
いろいろな人々へ通じる大きさを持つじゅんこさんと直毅さんがいないのは実際キツイだろう。おっさんのベースのソロなんてね。まあ、人前で30年もやってきたのだから、こういうときにあたふたしてはいけない。
ともかく、車で東北へ。最初の給油の値段が3.110円。3・11。東京を出るあたりで豪雨。イニシエーションのようだ。福島にはいると青空の青の鮮やかさが極まっている。子供の頃の夏休みに見たあの青だ。フランスやドイツで時々見るあの青、そしてモクモクと湧き上がるような入道雲。自然が季節を高らかに謳歌している。
西に進み山形に到着。山菜などをいただく。翌日、中学校での演奏予定。180人の中学生にベースソロを聴かせるわけで、何を演奏しようかと考える。まあ、考えてもムダ、その場に任せるしかないことはわかっている・・・・・
実際対面すると、驚くほど素直な生徒達にビックリ。荒れた様子など皆無。「とは言っても表面だけ?」などと勘ぐる自分が恥ずかしくなるくらいに素直。この先、荒れた社会でさぞや大変だろうと本気で心配してしまう。オトナ達が大地に足を付けてしっかり生きていれば、子供は荒れないのだろう。
暑い暑い体育館、熱中症を心配して、生徒達が体操着に着替える。したたる汗と冷や汗のなかで、精一杯生徒達に語りかける。「花祭り」で前拍の効いたズッシリしたリズムを打楽器奏法や、足踏みを使い弾くと手拍子で応援してくれる。ありがたや。韓国のサルプリの話をしてチン(銅鑼)を使い,長く吐く呼吸法をみんなでやりながらストーンアウト、なぜ自分で奏法を開発していったかなどを話ながら特殊チューニングの演奏やら、倍音の話までできるだけやさしい言葉で語りかける。特殊・専門だけれど、私が、今・ここに立っていることができる方法は、ただひとつ、自分のことを語ることだろう。
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小川で舞う蛍を愛で、会食。海から遠くありながら山形の海鮮は高品質。目利きがいて、運ぶ方法が確立されていて、厳しく,楽しく味わう、という長い長い伝統があるのだろう。食にこだわるところ(人)には文化が栄える。地産の鮎とともに奄美大島で養殖された本マグロも出てきた。飽くなき探求。
翌日、皆龍寺での大震災義捐コンサート。そもそもこのお寺の成り立ちが特筆。元は処刑場。キリシタンの処刑を行ってから付近で良からぬことが頻発するので、盆栽の松を植え、魂を沈めるために建てられたお寺ということ。今、その盆栽の松が巨大化しうねうねととぐろを巻き異彩を放っている。
三世代の住職が居住している。「土壇場」「べらぼう」の意味を聞く。おお恐。現住職の奥方は地元でマザー・テレサと呼ばれていて、多方面の活動を献身的に続けている。今回は、無料で義捐コンサートを催し、バザーを併設、演奏の前に読経があり檀家さん達も唱えている。
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お寺での演奏の経験は多い方だと思うが、今回はかなり特殊だ。あたふたする事なかれ。謙虚に,かつ、アンテナを全開でその場に立ち、曲を選び、演奏するのみ。
自然に、追悼の意味合いの強い演奏になっていく。前回、ポレポレで取り上げた「オラショ」もやらないわけにはいかない。「かひやぐら」と名づけた、楽器を横にして、テクニックを使わない奏法も、聲明の無言唄の話とつなげて演奏する。集中力がまったく切れない聴衆。すばらしい。捧げ物としての音を感じることができた。
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