サラヴァ!

サラヴァ!
ヴィニシウス・ジ・モラエスとトッキーニョと二人のマリア(マリア・クレウザ、マリア・ベターニャ)とのブエノス・アイレス録音は、もう35年くらい聴いています。音楽と詩になりきって歌うクレウザ、少女のはずなのにベテランのように歌うベターニャ。聴き飽きたことがありません。そのなかの「Samba de BenÇao」で、ヴィニシウスがいろいろな人の名前を挙げ、みんなで「サラヴァ!」と復唱します。「祝福あれ!」という意味あい、と勝手に解釈しています。一方、日本語で「さもあらば、あれ」の短縮で「さらば」と言い、別れの言葉としています。どこかで繋がっているのでしょうか。ともあれ、しめっぽくない別れの言葉として私はとても好きです。
のちにピエール・バルーさんはフランス語版で歌い、さらに同名のレコードレーベルを立ち上げ(「ラジオのように」ブリジット・フォンテーヌ/アレスキーは日本でも大ヒット。アートアンサンブルオブシカゴが伴奏となっていますが、トランペットはレスターではなく、レオ・スミスだったようです。本人から聞きました。)さらには渋谷に「サラヴァ東京」を作っていますね。先月「浸水の森」トリオでお世話になりました。
ジャンさんの離日前日「いずるば」でサラヴァパーティ。その日のお昼にベルギーから帰ってきたジャッキー・ジョブさんも娘パロマ・連れ合いをつれて急遽参加。実はジャッキー一家は、来週日本を引き揚げケープタウンに帰るのです。パロマはごく普通の渋谷区立の保育園に行っていたので、日本人の部分が時々でてきてみんなの笑いを誘います。私とジャッキーと最初に共演した青森県立美術館の時にはいなかったパロマはもう三歳。ククルククパロマ。
福島の事故がなければ、パロマためにこんなに急いで日本を離れることは無かったでしょう。また、ここにはアンニャもナエル王子もいたでしょう。覆水盆に返らず。
竜太郎クンは昨日のポレポレ坐飛び入りがとてもとてもうれしかったのでしょう。何回もその話をします。私たちも、将来の共演話をするように努めました。そして、それは実現させるのです。
翌朝、ジャンさんを成田に見送り。首都高の事故渋滞というイヤーな時間も話す話題には事欠きません。思えばコントラバスアンサンブル・浸水の森トリオ・ソウル公演・バーバー富士・宮沢賢治もの・うたをさがしてトリオと私の現時点でのほとんどすべての音で踊ってくれたのですね。
サラヴァ!!
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