日記

人類史上のモルモットになっているような中でも、日常は淡々と流れていく。喜びがあり哀しみがありホッとしたりお腹が空いたりケンカしたり、いつもと同じ。
4月1日は稲毛キャンディの35周年という記念すべき日に今井和雄さんとのORBIT。地震以後、この日のためのガソリン確保でヒヤヒヤしていたが、首都圏は通常に戻った。しかし稲毛の海岸よりのガソリンスタンドのトイレは水がでていなかった。液状化が酷いエリア。まだまだ続いている。
早めに着くと、LPレコードのジャズが流れている。よく知っている盤(モンクとコルトレーンの共演盤)から、初めて聴く音がたくさんでている。大変なオーディオセット。かつて長岡鉄男さんのオーディオルーム「方舟」で自分の録音を聴いたときを思い出した。録音した場所の空気,手元の感触までをまざまざと感じることができる。再生可能な情報量の多さなのか。ともかく尋常でない再生音。
35年やり続けることもまた尋常ではない。アケタもエアジンもそのくらいだったか、もう少し長かったかだ。助成金があるわけでなく、容易に想像できる経営の中、持続している。出演する側も似たようなものだ。この状態はひょっとして「日本的」と言えるかもしれない。資本主義に反する。成り立たないところを、成り立たせている。何のため?なんでそこまで?
いつかは恩返し、と思い続けているがこちらも常に存続の危機なのだからなかなかできない(絶滅危惧種)。自分にできること、それは音なのだから、それをやるしかない。
この日の演奏は、ジャズからは遠く離れて(far cry)いる。信じることを精一杯やった。それはOrbitゼロのライナーで茶化して書いた通り。
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何で、こんなことになっちまったのだろう?
貴重な楽器や弓を手に入れて、弦もピックも松脂も諸パーツも厳選して、イヤって言うほど練習をして、イヤって言うほどの世界中の音楽を聴いて、いろいろな所に旅して、家族ももってさ、余裕のないくらしをして、「この音」だぜ。「普通の」音なんかほとんどありゃしない。誰だってできるんじゃない?
ありったけの自分を担保にして、1時間、音を出し続ける。そこまでして欲しいものがそこにあるの?答えは”YES” 完全アコースティック、完全即興、1時間キッカリ、合わせて110年の軌跡
(齋藤徹)
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(写真:木野英彦)

翌2日は午前中から集合してリハをして鶴川にある国士舘大学21世紀アジア学部での新入生歓迎会での演奏。昨年の銀座悠玄での演奏を聴いた土佐昌樹教授が是非にということで、さとうじゅんこ・喜多直毅さんとのトリオでアジアものを選んで演奏。土佐さんは韓国が専門で、共通の知り合いが多かった。(もちろん金石出さんも)また、いつもお世話になっている美術の森妙子さんの旧知の方だ。
インドネシア古謡・ブンガワンソロ・オンバクヒタム琉球弧、桜鯛・ストーンアウトから・最上川舟唄とオンバクヒタムの海流を遡った。最後にアジアではないが、ビオレータ・パラの「ありがとういのち」で地震のことを。
21世紀アジア学部には400名の新入生がいる!巨大教室での演奏。しっかりした(必要以上?)PAを通してのコンサートに慣れてしまっている若者達にもあえてPA無し。地味な曲が多く、消え入りそうな音もあり、耳を澄ますことになれていない若者は、時には耐えられなくてガサガサ・ごそごそ・ぺちゃくちゃ。いいよ、いいよ。手拍子が起こることもあったし。
「効果」的でなくても「有名」でなくても「エンターテインしてなくても」懸命に演奏し、伝えたいと思って生きているオトナもいるのだよ。
(譜面台に「ガンバレ東北」。お二人とも東北出身。)
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