徹の部屋VOL.9 黒沢美香さんと、終了

美香「ダンスって、終わった後のためにあるって思うのですよ。」
徹「ウム、なるほど、音も終わった後の沈黙のために音を出している気がします。」
というのが終演後、楽屋代わりの部屋へ行くエレベーターのなかでの会話でした。とても象徴的な会話だった気がします。

このところダンスの仕事がとても多いけれど、そのどれとも全く違いました。音もダンスも、フツーの基準から大きく大きく外れていました。いったい何だったのだろう、という感じです。ダンスの種類で言っても、モダンでもコンテンポラリーでも舞踏でも決してない。

音がこう来たら、動きはこうやる、あるいはこうやらない、動きがこうきたら、音はこうやる、あるいはこうやらない、というような図式からは遠く遠く離れています。では、二人が全く違うことを単に同じ空間でやっていた、ということでは無く、相手無しでは成り立たない舞台です。そしてそれは決して、つまらなかったのではなく、多くの聴衆、スタッフとも大喜びでした。絶賛する人も何人も。

演奏家が楽器を弾かなかったり、ダンサーがダンスをしなかったりするようなパフォーマンスはどこかエリート意識がちらついたり、やけくそ色がついていたり、コンセプト優先のニオイがすることが多いのですが、それとも違う。

「今・ここ・2人でしかあり得ない」度が大変高いことは確かです。2人ともリラックスして遊んでいるようですが最高度に真剣です。それが裏で支えているのでしょう。充分に仕組んだものを見せたり、他人にはできないことをしたり、ともかく喜んでもらうことに特化したりしてお客様からお金をいただくということと違う。

美香さんは時々特定のキャラクターに成りきって舞台に立ちます。(郵便局員・小石川道子だったり、無国籍民族舞踊ダンサー風間ルリ子だったり。)今回は白いシースルーのブラウスで薄い手袋までして黒いスカート、「ちゃんとした人」ということだそうです。

私は懸案のザ・ピーナッツメドレーから入りました。2分後には汗が噴き出しています。楽器やテクニックから自由になるべく小林裕児作の一弦琴「南へ」号も持参しました。美香さんは、私より上手に「南へ」号を演奏しました。

ただただ、その場にしたがってのあっという間のⅠ時間。力のある人とのセッションの時によくあることですが、自分が何をやったか定かでない時間。美香さんのあの身体の状態で、どうしてこんなに動けるのでしょう。ヒトの可能性は無限です。

いったいこれは何だったのだろう?これでお金をいただいていいのか?
基本的な問い、必要な時間です。もしかしたら、本来の「ユーモア」とどこかで関係があったのでは、という今の気持ちです。

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