小林裕児さんとのライブ(続)

抽象性にしろ、コラージュにしろ、匿名性にしろ、レディ・メイドにしろ、ポップカルチャーにしろ、美術界は音楽界より早く話題になってきている。ライブペインティングだと、さらに、直接「いま・ここ・わたし」が影響してくる。

2003年3月、ミッシェル・ドネダが2回目の来日ツアーをしたとき、ちょうどアメリカが「大量破壊兵器」を隠しているとしてイラン攻撃を始めた。そう言う事実はなかったのは今は常識だが、当時でも、世界中多くの人が、これは何かおかしい、と思った。

東京も少し騒然としていた。そんな時に小林さんとのセッションがあった。実に久しぶりにデモに行ってきました、という人も聴衆にいて会場(キッドアイラックホール)に埃が舞っていた印象が残っている。その時の、小林さんの作品はとても印象的だった。これから世の中どうなってしまうのだろう?という漠然とした不安を木に登ったキャラクターが表していたように思った。

写真評論の楠本亜紀さんがキュレーターをしていた川崎市岡本太郎美術館で「土方巽展」が開かれ、そこでも小林さんとのセッションがあった。アスベスト館の床材をそのまま持ってきた舞台、土方さんのさまざまな展示、ベーコンの絵もあった。

小林さんは、ボートに乗る2人を描いていて、最後の瞬間に、東南アジアの海の遊牧民(Sea Nomado)の映像に重なったときは、会場中がビックリした。もちろん打ち合わせなど一切無かった。

画家によるライブペインティングの違いも興味深い。ヨーロッパだと、その瞬間の即興性が何よりも大事なので、作品として残ることを考えていない。灰色に塗りつぶされて終わり、そのまま捨てて帰る。小林さんは、作品として残す。普段の、「絵を描く」という行為に変更はない。(アメリカでやったときはもっとコンセプト性が強く、演奏家が絵を描き、画家が楽器を演奏するというシーンがあった。)

誰かに何か描いてもらってから自分が描く、ということをよく試みる。ダンサーや画家仲間に先に描いてもらったり、1回自身でライブペインティングをした後、時を置いて、その上にもう一回ライブペインティングをしたり。(終わった後、切り刻んで、お客様にお土産として渡したりしたこともあった。)

不確定要素を積極的に取り入れて、揺れ動く「いま・ここ・わたし」をさらに問い詰めることになる。「思うように描く」ことに満足しない。たとえ思い通り描くことができても「いま・ここ・わたし」を超えられない、知らない自分には会えない。そんなことを考えているのだろうか?すべてが、私に跳ね返ってくるトピックだ。

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