小林裕児さんとのライブ

出演者の数から「オンバク・ヒタム総合版」をポレポレ坐で出来なかったため、座高円寺に場所を移した。そのためやむなく1回お休みしたポレポレ坐「徹の部屋」の第4回がいよいよ来週(10/30)です。今回は小林裕児さんのライブペインティングとの会になります。

小林裕児さんとのセッションのことをいろいろ思い出してみます。

最初の出会いは博多の画廊のアイディアで、私の新作CD「PAGAN HYMN」の美術をやってもらった。安井賞作家でお忙しいと聞いていたので、自作品を「どれでも好きなようにつかっていいよ。」ときっと言われるだろうと思っていたが、実際は、3種類の実寸大のすべての部分の絵を描き、字まで書いてある。すべてが「具体的」なことにひどく感心した。

この人には、学ぶものがたくさんあるはずだ、もしかしたら一緒に何か出来るかもしれないと直感。しかし、私のような立場でない著名な演奏家との方が良いのではないか、似合うのではないか、と危惧したのも事実。他のジャンルとの共演が話題になり始めていたころで、「異種格闘技」とかいって茶化していたが、継続的なものは稀だった。それぞれが得意技をショーアップしていた。

過度な期待をしない、しかし、願いは心の内に強く燃え続けている。自分の仕事を確実にやり続ける人に特徴的なことだ。気がつくと、かつての「過度の期待」などは軽々と超えてしまっている。

ともかく描く量が半端でない。控え室で出されたお菓子の箱に描く、移動中の列車では何枚もスケッチブックが埋まっていく。「微電流を流し続けるんですよ」とおっしゃる。これに対する音楽の在り方ってなんだろう、と何度も考えた。

あるとき、NHKテレビ「公園通りで会いましょう」から5日間「即興」について番組を作って欲しいと依頼が来た。その1日のゲストに来ていただいた。1989年以前の細密画から、現在の画風・立体までの紹介と共に、ライブペインティングもやりたいということになった。大きなアクリル板を局に用意してもらい、私が演奏して彼が描くのだが、最低10数分は必要だ。局側は生放送で、言葉が入らずに10数分放送することは異例中の異例なので、折衝は難航したが、決して主張を曲げなかった。さすがだった。

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