西方へのツアー その3

春の西覚寺

広く静かな部屋で朝。秋の太陽がまぶしく昔ガラスを通って来る。日頃を思うとなんと夢のような。ガラス戸を開ける。練習を繰り返してきたような見事なあくびを一発。

西覚寺の朝。木の葉が落ちる音が私の病んだ耳にもはっきり聞こえるほどの静けさ。今日は一日オフ。岡山公演が急に日延べしたので二日間空いてしまい、楽器を担いで東京にとんぼ返りする気はしないため、わがままを言ってお寺に延泊している。11/3のライブのための作曲の一日にあてることにする。何というゼイタクな!

このお寺は勉強や布教に力を入れている上に様々なイヴェントにも協力している。古文書の研究でお忙しいのに、頭が下がります。本橋成一さんの映画「アレクセイと泉」上映の時は100名以上の観衆、打ち上げももりあがり監督もたいそう喜んだそうだ。私の滞在時には、ご本堂で若手の美術家の展示をしていたし、街の古いキリスト教会の建物維持のボランティアもなさっている。お寺が街の文化センターであることを思い出す。誕生、成長、結婚、出産、葬儀まで人生すべてを請け負っていたお寺の歴史。

米原・彦根が交通の要所と書いたが、それはとりもなおさず私のテーマ、オンバクヒタムと関係がある。九州の西を通り、朝鮮半島、日本海側に到る対馬海流にのると若狭湾や敦賀に楽に流れ着く。また加賀百万石の米など運ぶものもたくさんある。若狭から京・大坂に物資を運ぶのには北前船で瀬戸内海を通るルートとともに、琵琶湖を回って陸路、琵琶湖を船で行くルートがあったという。「鯖街道」という名前も残っていて足の速い鯖を二日で京都に届けた。

また、京・大阪の人々が「豊かで文化の高いあこがれの」北陸・東北の西海岸へ行くのに琵琶湖の東沿いを使った。そのため各地のお寺などには様々な人々が旅の途中で投宿。(魯山人などもその一人と聞いた)。一宿一飯のお礼に襖絵など描いたりしたと。そのため泊まり客の接待は伝統的に慣れているということだ。鑑定団が来たら大変なことになる、と茗荷さんの話。

朝鮮半島からすぐに若狭湾に着くということもあって、このあたりにはずいぶん不思議なお祭りが残っているという。拝火教のような火祭り、韓国系の音楽やダンス、など移住してきた陶の作家・中野亘さんが驚きと感動とともに伝えてくれた。ここの住職は若い頃韓国に仏教留学をなさったそうだ。貴重な経験だ。ちょっと覗いただけだけれど、本当に興味の尽きない土地柄だ。

住職のお母様と茗荷さん、住職夫妻と一緒の夕食では、彦根に伝わる様々な都市伝説・興味深い話、お寺のあるべき姿などのお話を拝聴できた。本当に貴重な時間でした。私はフツーのサラリーマン家庭に育ったため、人に甘えるのが下手。偉そうに食客をキメル図太さをもたねば、ってなんのこっちゃ。

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