ピアソラとガンディーニ

ピアソラ最後のセステートは、もっとも興味深いグループの一つだ。表向きには、バンドネオンを二台にしたことが目立った。それもプグリエーセ楽団出身の問題児ダニエル・ビネリだったからなおさら目を惹いた。(初めの案ではフリオ・パネだったようだ。)また、弦が、スアレス・パスでもアグリでもなく、というかヴァイオリンでなくチェロ、しかも旧友ホセ・ブラガードを使ったことも大変多くの物語を含んでいる。

しかし私にとっての最大の収穫はヘラルド・ガンディーニ(ピアノ)だった。ブエノス・アイレスでビネリに習っていた田邊義博さんが帰国し、見せてもらったオランダとハンブルグでのライブ映像は衝撃だった。前任のシーグレルさんも充分、キンテートに貢献し一時代を築いたが、ガンディーニさんはスケールが違った。巨匠だった。アムステルダムでのプグリエーセ(オルケスタ)とピアソラ(セステート)の合同演奏では、緊張気味(ピアソラさえラ・ジュンバで小節を間違えている)な全メンバーの中で、ガンディーニさんはラ・ジュンバからアディオス・ノニーノへ繋ぎの部分で、堂々と、しかもかなり自由にソロピアノでジュンバを変奏させアディオス・ノニーノに繋いでいる。いったい何が起こっているのかわからないように、きょろきょろしているプグリエーセさんが印象的だった。

経歴は1936 年生まれ、本国でヒナステラ、イタリアでペトラッシに習った現代音楽作曲家・ピアニスト。ブエノスのDi Tella研究所、ラ・プラタ大学、カトリック大学の教授を歴任。コロン劇場のオペラ・バレーの現代部門、サンテルモ研究所の作曲部門の責任者。ピアソラはよく見つけ、引っ張ってきて、しかもタンゴを弾かせたな〜。このあたりの二人のやりとりがどうだったか、大変興味があります。それにしても母国の音楽・タンゴでこういう繋がりになったことは本当にすばらしいし、ピアソラにしかできなかったことだろう。ピアソラ以後、ということがよく言われるが、ピアソラ・ガンディーニの可能性にはまだまだ未踏の地が広がっている。

セステート解散後は、ピアソラはもうグループを作ることなく、オーケストラの譜面を持ってソリストとして各国を回った。それが最後の音楽活動になる。体力的なこともあったろうが、このセステートを超えるものはあり得ないことだったのだろう。このグループは、可能性を充分に展開せずに終わったと言える。ハンブルグのライブでコントラバスは、アンヘル・リドルフィさんだった。もちろん良い奏者なのだが、ちょっと可哀想だった。実は、私が入りたいと思ってしまったきっかけがこれだった。

ガンディーニさんにしてもピアソラと一緒にいたとき(1 年あったかなかったか)が私は一番好きだ。死後の「アストルタンゴ」などの映像ではピアソラの不在のみが目立ってしまう普通の演奏だった。その後は、フィト・パエスの映画「ブエノス・アイレスの夜」の音楽担当や、ソロピアノ(タンゴの自由な変奏)、ピアノデュオ(Ernest Jodosと、ちょっとジャズっぽい)、作曲家としては、Hydee SchvartzさんのCDでカーゲル、ケージ、ベリオ、シェルシなどと名前を並べている。

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