hard days 2

11時に小倉へ移動。翠大輔という若者が運転してくれる。九大時代はウナギがどこで産卵するかの研究チームにいたそうだ。いろいろな人がいろいろなところで生きている。旅に出ると普段会えない人に会えるから楽しい。彼は、堀越千秋さん関係で知り合ったディープなフラメンコのCDを出したり、最近はヤヒロトモヒロのソロを録音したそうだ。
http://www.aficionrecord-ezln.com/
最近ウナギの産卵場所がついにわかったらしいなどと話をしながら小倉南バプティスト教会へ到着。

このブログにも何回か登場した谷本仰さんが牧師を務める教会だ。
http://t-etc.net/blog/archives/001611.html#more
に谷瀬さんの詳細なレポートがあります。内容はここにお任せします。

昨年もここでワークショップをやった。子供達が20~30人いる。こういうところでのワークショップは結構たいへんだ。参加対象に合わせた内容を選ぶなんて器用なことは元々できないため、言いたいこと、伝えたいことを不器用に伝えるしかない。

それがかえってうまくいくことがある。網走の養護学校に行ったとき、普段のコンサートと同じように演奏した。13年間だったか、何に対しても無反応だった女子生徒がベースの音に反応したのだ。教職員の驚きは相当なものだった。ある先生曰く「養護学校用の演奏でなく、普段通りの演奏をしてくれたのが良かったのかもしれません。」なるほどそういうこともあるのか。

忘れられないもう一つのワークショップは、高野山で障害者達とのセッションだった。マレー人アーティスト、ザイ・クーニンが踊り私が演奏した。昼間作った活け花を夜のセッションで私たちのところに自在に配置して曼荼羅を作ろうという企画。大阪・平野の全興寺の住職・川口良仁さんのアイディア。この人は本当のアイディアマン。平野の街をアートにしようと言う企画、平野弁で第九を歌う企画、町中を博物館にしてしまったり、本物の行動力と洒落っ気。あるお祭りの時、呼ばれていって「ここで弾いて」とまず案内してもらったのが樹齢1000年の楠の前。

神々しかった。とても他人の曲は弾けない、ということをヒシヒシ感じ、自作を演奏。次に連れて行かれたのが、商店街のアーケードのど真ん中。多くの人が買い物中、なぜか、隣ではヘアーカットしている。オモチャ屋の音、自転車の音。その演奏も「何時にどこで、誰それの演奏があります」という告知をあえてしない。その時そこに居合わせたことが大事ということ。即興の達人だ。

昨年は、井野信義さんとのデュオCDを作ってくれた。本堂での演奏の後、皆さんお帰りになりひっそりとした本堂で演奏。「もうこれ以上タマラン、というまで一つの音をだしてください」とか「空間を断つ」とかの指示。普段、どうしても「表現」してしまいがちな、私たちにオルタナティブな視点を与えてくれました。このCDは所謂「音響派」好みの人たちに絶賛されました。何だかな~。

話を戻して、高野山では、聴衆の中に、ザイが踊りの動作をちょっとポーズすると、「はい、これで終わりです」と大きな声で宣言する人がいる。それに続いて「スピードのコンサートが始まります」という人もいる。ザイは日本語が分からないから何が起こっているか不思議そう。ザイの動きが止まると何回でもその宣言を繰り返す。初めのうち私は「困った事態だな。他の人のためにも無視して演奏しよう。」と思い自分の周りにバリアを張って演奏を続けた。そうするとますますその言葉がじゃまになってくる。どんどん土壺にはまっていく。

よし、こうなったらイチかバチか全部受け入れようと思い直し、バリアを外すようにして演奏を続けた。そうするとどうだろう。場の空気がみるみる和み、暖かくなり、ダンスも音も聴衆もドンドン楽しめる空間になっていった。彼らの宣言も本当のユーモアのように響き、決して邪魔な音ではなくなる。なんのことはない、「自分の良いところを見せよう、聴かせよう」という卑しい気持ちがすべてをダメにしていたのだ。それを教えてくれたのが彼らだったのだ。良い演奏って何だ。狭い了見は発想の貧しさを生むだけ。just accept。

教会に話を戻して、この時もある子供が初めから機嫌が悪く泣きながら「早く帰ろう、おかあさん」を連呼。受け入れよう。心に壁を作るな、と自分の輪郭を消していく努力をする。第2部では谷本さんと40分のフリーインプロ、うどのあすかさんのライブペインティングが自然に成り立った。そういうもんだ。勉強になります。ありがとう。

ワークショップ後、すこしだけ歓談し、そのまま博多へ移動、夜はギャラリーでソロだ。早く行かねば。

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