hard days 3

ギャラリーモリタでのソロ。ギャラリーが改名してからは初のライブになる。記念の意味もあって、乾千恵さんの書「月」と「音」、でたばかりの本「7つのピアソラ」を持って行った。書の設置はさすがにプロ。細かい配慮があり、それ相応の効果もある。普段の私の処置が恥ずかしいやら、情けないやら。書に守られながらのソロ。じっくり聴いてくださる人に囲まれてとても幸せな時を過ごした。

この日が誕生日の人(10年前まではここのスタッフだった)のためにオンバク・ヒタム琉球弧編では、三線風に「ハッピーバースデイ」を織り込む。移動のある一日二回の演奏は、皆さんの力で何とか終了できた。終了後近くのモツ鍋。心地よい疲れで、また痛飲。アメリカまで行ってベースの勉強をしたが今はあきらめた人、九大を出た後、ミュージシャンになった人、パン作りを始めた人、みんなそれぞれの人生をかけて話してくる。できる限り丁寧に答えながら終了。

翌日、夕方からの演奏のため、ゆっくりする。ギャラリーの次の個展は、前回のブログに登場したマレー人ザイ・クーニン展だ。体調を崩した彼のために連絡を取り合う。

夕方、天神のティエンポ・イベロアメリカーナへ。NPO法人で、イベロアメリカ文化の普及をやっている。ここでロドリゴという19歳のダンサー(有名なダンサー一家の若きホープ)がタンゴダンスの教室をしていて、その発表会の意味もあるダンスの会(ミロンガ)がある。そこでトリオ・ロス・ファンダンゴスと演奏するわけだ。

私がブエノスアイレスに行ったのが20年前だから、その時ロドリゴ先生は生まれてなかった!タンゴダンスがこんなに普及しているのかと思われるほどの盛況。生徒さん達は生演奏でのダンスはまだできないのでCD音源でやる。ダンスがない時間はファンダンゴスと演奏する。彼らは5日前にブエノスアイレスから凱旋帰国した。向こうでも大受けだったという。奇をてらわずに、迷い無くタンゴを直球で演奏することは、意外に少ないのだ。日本発のタンゴとか、オリジナリティとか、に拘ると落とし穴に落ちる。

私が高柳昌行さんと一緒に、来日中のオスワルド・レケーナさんに習ったとき、彼は「タンゴは踊りの音楽。ダンサーの足を観ながら長年修行するのだ」と言っていた。レケーナさんは当時、アルゼンチンの音楽家のプロ資格を審査していた。「なにが基準なんですか?」と聞くと「自国の音楽に対する誇りだ」とおっしゃっていた。

彼はフォルクローレにも精通している。愛読書はパブロ・ネルーダ。何回目か習いに行ったとき、ものすごく怒っている。「国辱ものだ。」という。穏やかでない。「今日はNHKに行ってきた。ある番組で演奏したら、それは健康のためにタンゴダンスが役に立つか?ということ目的にした科学番組だった。知らなかった。とてもイヤだ。もう日本には来ない。」それほど、誇りを持っているのだ。何回目かのタンゴブームでうわっつらに触れて浮かれているだけの軽薄な日本文化が徹底的に批判されたのだ。

ともあれ、ここではみんながダンスを楽しんでいる。ロドリゴはせっかく私が行くのだからというので「コントラバヘアンド」で踊りたいと。ほんの少しだけ事前に打ち合わせ、コントラバス一本でダンスを踊った。もっともっとできるな、という感触。

20年前一緒にブエノスへ行ったバンドネオンのNさんがご夫婦で横浜から来ていた。ファンダンゴスと一緒に海鮮市場へ行き打ち上げ。あじ・鯖・焼酎なんでもとびきり上手い。ブエノスのおみやげ話で花が咲く。20年をいろいろ思った。

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