螺鈿隊20周年コンサート終了。
まぶしいコンサートでした。
十二分に気を遣っていただき、楽をさせていただきました。4人ともコンサートに箏教育に国内外を飛び回り、本当に多忙な日々の中、長編のストーンアウトのリハーサルは1回のみ(それも1時間半だけ)。
事前に1人1人の周到な準備をしてくれていましたのでしょう。それぞれの音ははち切れんばかりのエネルギーに満ち、持て余すほどです。
演奏が作品を上回っている状態です。それは沢井箏曲院の「伝統」とも言えるかもしれません。我と我が身を鑑みてまぶしさにクラクラでした。この音達を満足させる作品はなかなかありえないかもしれません。(多くの作曲家に委嘱を繰り返し、それでも満足できない部分はインプロに託したのが一恵師匠になります。)
心身共に多忙な日常のなか、グループを20年維持することはたやすくはないはず。ある同時期四人とも沢井の「内弟子」だったそうで、「内弟子の枕は涙で濡れている」(日景晶子)と言うように大きな共有体験があり、そこが「帰るところ」として共同幻視している。(帰るところはない、と知っているのですが・・・)
私の周りとは一線を画し、みんな「ちゃんと」「立派」このキビシイ現代日本社会を生きています。一般的に言って、ジャズやインプロ系は、クラスの悪ガキ、ドロップアウト、引きこもり出身が多いのに対し、箏曲院は先生にも仲間にも親戚・家族にも好かれる優秀な人達が多いように見受けられます。
しかし、学級委員長だって生徒会長だって、四六時中良い子で居続けることはできない。自分でも統御できない喜怒哀楽におさまらない感情に襲われることもあるでしょう、それを狂おしいほどの願いを込めて、全てを捨て去っても良いと覚悟して音に託す。
四人が時折響かせる「ノイズ」(の激しさ)は、現れたがっている感情の深さ・必要性・必然性を語っています。決して特殊技法のための音ではなく、効果をねらってこれ見よがしにやっているのはありません。それはこの30年を感じます。
以前は効果のための効果、新しい音のための技法、普通でないことをやること自体に意味があった時も確かに有りました。しかし、今はそんな時代じゃない。
そしてそんな4人に惹きつけられ、憧れ、習いに来る人が次々と現れ伝統となる。かくして伝統は異端の線の細い糸で繋がってくる。そしてその大元の大元が沢井箏曲院なわけです。スゲー。
箏曲院創設時の主要メンバーだった栗林秀明さんの曲が演奏され、今ジャズ界で話題沸騰の栗林すみれさん(お嬢さん)も客席で見守っています。やっぱ時代〜。
ストーンアウト演奏中、私は何カ所かで合図を送り、一恵さんと何カ所かでソロを自由に演奏、ほころびの端緒をみつけると故意に破綻させたり、罠のように作り変えたりしますが、四人とも余裕で対応しれくれます。なかなかないことだよな〜。一恵さんは踊ってるし・・・
搬入搬出もなにもかもすみずみまで行き届いていて、帰りの運転も友人任せのお大尽でした。
心より感謝申し上げます。ありがとうございました!
(残念ながら)打ち上げにはでられませんでしたが、2018年最高の締めになりました。一人で竜太郎さんを見倣って一本締め。よ〜〜〜〜っポン!