さてと

ハンディキャップの人達とのつきあいでは、まず、違いや自分との距離にどぎまぎして同情や偽善と闘いながらなんとか距離を埋めようとします。経験を重ね、「同じなんだ、変わりはないんだ」と思うようになり、さらに時を重ねると「やはり違いもちゃんと認識しなければならないな〜」と思うようになります。

私が突発性難聴になったとき「皆さんに比べたら全く軽くて問題外なのですが、私も難聴になってしまいました」とちょっと自虐的に言った時、劇団「態変」の福森慶之助さんから「障がいは重い軽いではないんですよ」と諭されたことがあります。自分自身がハンディキャップな身体になるとその意味が少し分かるようになりました。

忘れてはならないこと:「終わらないこと」
帰宅する共演者を見送って自分の部屋や病室に帰った後も障がいは続き、病気は続きます。明日も明後日も明明後日も。

共演者とすばらしい時を過ごして、両者とも解放され(相互関係)、聴衆とも繋がり、評判になり、楽しく打ち上げをして、健常者は「次の仕事は何だっけ?」次の身体と心になるよう無意識に準備を始めます。

が、「決して終わらない、次も変わらない」人達の眼差しを決して忘れてはいけません。

「世の中、なんて不条理なんだ」と憤っても仕方ないのです。「だってしようがない。」この使ってはならないはずのラストワードと共にやっていく、一つ一つやっていくしかない。より良く、楽しくなるよう。

さて私自身の12月をふり返って:

これだけは身体の動く内に何としてもやっておきたい、決算の12月!、と気張っていた仕事が一つ一つ通り過ぎて、不意のように終わってしまいました。長崎に1ヶ月湯治滞在したり、医師との合意の上で抗がん剤治療を中断したのは、すべてこれらの仕事をできるだけ良い体調でやりたかったからです。

「いずるば」フェスティバル2日間、第Q藝術での歌の新曲with庄﨑隆志・松本泰子(詩人の参加も)、ポレポレ坐での徹と徹の部屋vol.3、ムジカーザでの螺鈿隊コンサートのゲスト(沢井一恵と)でストーンアウト。まさに私の長年の決算のような重要な仕事ばかりでした。

無事にというより、奇跡のようにうまく事が運び、いざ終わってみると、「祭りの後」。大きな祭りであればあるほど祭りの後は寂しいもの。もちろん指は動かず、足はフラフラ、頭も回転悪く、しかし、その「おかげさま」であらゆる見栄・繕い・虚飾は通用せず嘘のすくない演奏だったかもしれません。

ハレが終わり、ケにもどると、当たり前のことですが相変わらずのニッポン。掃除ができていず、真っ直ぐに歩けない自宅でじっとしているわけです。私が納得いく仕事をしても、しなくても、喜んでも悲しんでも、雨は降り、お天道様がで、朝が来て、夜が来て、誰かが悪いことをして、誰かが良いことをして、お腹が減る。

来週の診療を控え、いろいろと覚悟しなければならないのですが、何事も変化のないこの師走に紛れ込んで「えっ、何かあったの?」と知らんぷりを装っていたいな〜、なんて思ってしまいます。

いやいや、贅沢言ってはいけません。嘘は通じません。生きているだけでも「ありがたい」、おまけに、やりたい仕事ができ、共演者と聴衆と場と気を分け合うことができたのだ!と思えば、本当に奇跡のようなもの。欲張ってはいけない。

なにがあろうが、なかろうが、私がいようと、いまいと、地球は回り、星は巡り、季節は繰り返す。そんな感覚がメビウスの帯のように次々と巡ってきます。

「縁起でもない」と言う言葉は返上して、残りの時間と残りの仕事を振り分け、医師としっかり話し合って、後は天に任せるのみ。目ヤニでまぶたがくっつきがちな目を半眼でも開け、血が出にくくなった指先に何回も針を刺し血糖値を測り、インスリン注射を打ち、ヨチヨチでも一歩一歩。さて「本」一冊、ソロ録音一回に集中しましょう。共演を望まれていた方々、準備しましょう。

あ~~~も~~~飽きたよ~!なんていってはイケマシェンのココロだ。

写真;小原佐和子