螺鈿隊・沢井一恵・ストーンアウト

私の記憶に深く刻まれるであろう2018年12月。

20日の螺鈿隊20周年コンサートのゲスト出演を残すのみになりました。診察はまだ2回あり、またゼロから今後の方針を話し合います。平常心。私の今の状況を察してかインタビューやら記録やらが増えてきました。これもまた良しか・・。

先日ストーンアウトのリハーサルに行って来ました。箏カルテット螺鈿隊(市川慎・梶ヶ野亜生・山野安珠美・小林真由子)の20周年記念コンサートという晴れがましい場にお招きいただき、終生の畏友たる沢井一恵さんとダブルゲストというたいへん誇り高い気持ちです。

久しぶりの蛇崩のスタジオ。ふたたび訪れることができるとは!

思えば箏・十七絃の世界との始まりが平成元年の栗林秀明さんのリサイタルでしたので、30年間いろいろいろいろいろいろな事がありました。おかげさまで私の人生・音楽を何倍も豊かに広くしてくれました。深く感謝いたしております。即興・伝統・ヨーロッパ・韓国・タイ・ラオス・演劇・ハワイ・アメリカ・録音・作曲・ダンス・喜怒哀楽・慈しみ・人間関係・師弟関係・出会いと別れなどなど、人生そのものです。

20年以上前にKOTO VORTEX(西陽子・竹澤悦子・丸田美紀・八木美知依)から委嘱され作曲したこの曲はいつの間にか私の代表曲とされるようになり、CD、神奈川フィルハーモニー管弦楽団との共演、ベースアンサンブル弦311、ユーラシアンエコーズ第2章DVDなどなどで改編・再演を繰り返しています。

もともと私は作曲家ではありません。作曲家とは、作曲することを目的として作曲することで充足される人達。私にとって作曲は演奏のための海図のようなものです。委嘱や演奏予定、演奏家想定無しに作ったことはありません。演劇公演で「ここの場所」で「こんな感じの」音楽を「何分ぐらい」などと指定されている方がよほど作りやすい。

もともと自分は何者?「即興」の中から自分にしか出来ないものがでてくるのではないか?といういかにも青臭い、かすかな目的で無謀にも音楽を始めたわけです。

ある時、演劇公演の時にベテランの音響技師Wさんに「テッちゃん、即興も良いんだけど、作品自体もお客さんも、出演者も、スタッフもお土産のようなメロディ・曲を欲しがっているかもよ、ちょっとやってみたらどうかな〜」ということで半信半疑でいくつも書き始めました。

自分にしかできない曲、ということに全くこだわらず、ここではこのリズムを使おう、とか、こういうメロディを、ハーモニーを使おうとか、オリジナルでなくてもいい、既存の気に入った音楽を要素として・素材として使っても構わない。演劇という免罪符をいただいて気楽に作っていったのです。その細い流れが、現在進行形の歌づくりに繋がっているという感覚があります。有り難い経験でした。少しでも良いものを作ろう!という意識があまりないのでどんどんとできました。

考えて見れば日本語での作曲とは「曲がった」ものをつくる、すなわちメロディを作ることに重点が置かれていて、英語だと「構成する」ことに重点があるわけです。韓国伝統音楽では作曲という概念も希薄でリズムのみです。そのリズムも長短(チャンダン)という長い・短いで組み合わさっている。

20年以上前、ヴォルテックスに委嘱されたときは、沢井一恵さん、金石出さんとの交流が1つのピークを迎えていました。私も若く馬力がありました。一恵さんと共に体験しつつあった金石出さんとの出会いで私の音楽観は一変、一恵さんは国内外で破竹の勢いで活動中。同時に沢井家では、あろうことか、悲しいことが相次ぎ起こっていました。その「知らせ」や「深い悲しみ」それらの「恨」を払拭する永遠のリズムと解放を思わずにはいられませんでした。ストーンアウト(石・出)という金石出さんの名前を使っていますが、音楽の精神的な部分は沢井家のことでした。(この前のリハーサルで一恵さん自身も螺鈿隊も始めてそのことを知ったようです。)

そんな中での作曲ですから、両方の強い影響から逃れることはできませんでした。チャンダンから学んだことを盛り込んで書き、玄界灘の深さを感じつつ、韓国伝統音楽と邦楽の違いをこそエネルギーにしようという企みでした。なぜだか世の中も受け入れてくれました。テレビの2時間ドラマ(探偵もの)でも使われたり、プログレのファン達の間で評判になったり、思わぬ展開でした。

螺鈿隊とも長〜いお付き合いになります。
ストーンアウトやタンゴエクリプスという長い曲をやってくれたり、田中泯・ベーストリオ羊(瀬尾高志・内山和重)とのオンバクヒタム(もう一つの黒潮)@座高円寺、ユーラシアンエコーズ第2章(DVDあります。with ジャン・サスポータス・元一・姜泰煥・姜垠一・許胤晶・南貞鎬・沢井一恵・喜多直毅)ポレポレ坐徹の部屋などなど私の大きめの企画に多く参加してくださいました。20周年!を迎え、音楽・技術・経験・人間性・社会性ともに春から夏へ向かう素晴らしい時期を楽しんでいるようです。まぶしいな〜。

ともかく、20日が実り多く終わるまで精一杯いきるこころだ〜。