「いずるば」フェスティバル 備忘録 その1

いずるばフェスの備忘録(忘れないうちに)。その1
(第一場)

*「いずるば」を立ち上げた矢萩芳子さんの文章朗読(村上洋司)。ずっと関わってきた諏訪洋子さんのダンス(可能ならば芳子さんのダンスだったのですが、入院中)
・違いを乗り越えて学びあう、障がいの有る無しにかかわらず、渾沌の中から紡ぎだし「いずる」場に。

*「ぼくのからだはこういうこと」という竜太郎さんのことばをテーマにした竜太郎さんのソロ。この言葉自体彼が言ったことです。(彼には多くの名言集があります)

ダウン症という障がいを持つ竜太郎さん。いろいろなバイアスをかけて見られてしまいます。はじめは、障がいがある「のに」がんばっていて、微笑ましい、すばらしい、というのが一般的かもしれません。次に、「障がい」など関係なくみんなと変わらないんだ、同じなんだ、と気づきます。

しかし、彼の身体はダウン症のためにさまざまできないことがあることも忘れてはいけません。(視力・消化・骨格・関節などなどさまざまです)。みんなと一緒ですが、障がいはある、という視点も必要なのです。
その上でみると、彼が即興に長けていることが輝いて見えはじめます。即興というのは、その場の情報をできる限り多く、かつ、細やかに汲み取り、その場で処理していくという複雑な思考・感受性・それを形にする回路が必要です。どんな状況でもその状況の中で「なんとかする」「より良く生きる」ということの知恵の実例なのです。

彼が彼の身体を生涯の相棒として即興ダンスをしている、ということに着目すると非常に多くのものを学ぶことができるのです。そしてそれは私たちにするどく反射する鏡になることに気づきます。

*彼のソロに私のコントラバスが絡んでいきます。それは会話ではない。会話だと「反応」になり、意味を往復する間に遅れてしまいます。また、「反応・会話」だと想定外になりにくい。それぞれの純度を上げていき、お互いのまだ見ぬ未来を見据えて一緒に歩いて行き、どこかで出会う事を願うのです。

*その中に、「わたしのからだはこういうこと」と木村由さんが竜太郎さんに加わりデュオダンスになります。由さんと竜太郎さんの企まぬシンクロは最初の出会いから際立っていました。人はみな、その生涯をそれぞれの「こういうこと」の中で精一杯生きる。その精一杯の行為はかならず共振して伝わりシンクロする。そこに喜びや楽しみを見いだす。

*そこに、参加メンバーが「私の音はこういうこと」「私の踊りはこういうこと」と言いながらひとりずつ参加します。こうやって生きているのです、生きていきたいのです(=このために死ぬのです)という自己紹介・自己宣言です。この段階では、ひとりずつ勝手な宣言で、お互いに絡み合わないよう、という演出をしました。

*その渾沌の中に三角みづ紀さんが詞を書いてくださった「Pilgrimage」を松本泰子さんがアカペラで歌いはじめます。みづ紀さんもご自身の身体と闘いながら詩作を続けていらっしゃいます。サビの部分で「つまさきまで 満ちる刻が / やがてくると 知ってるから どこまででも 探しにいく / この身体で 身体だけで」と言う部分で、竜太郎さんのダンスと重なり、ラテンのリズムをつかい祝祭的にみんなが集います。が、それは長く続かず、ふっと消えてしまいます。

*今の盛上りはなんだったのか?私は誰なのか?私は誰だったのか?何をしているのか?何をしたいのか?いつ?どこ?なに?なぜ?おーい、おーいと自分自身に呼びかけます。ワークショップでやった春日大社の警しつも少しあらわれます。すべての疑問符の答えが「私だ」になります。これはテオ・アンゲロプロス監督「シテール島への船出」のオーディションのシーンからのインスピレーションをいただいた引用です。「私だ」と答えるだけのオーディションで次々と「私だ」が続く大変印象的なシーンでした。

*「いずるば」では、いつ、どこ、なに、だれ、なぜの答えが全部「私」に集約されていき、その中から、8日は渡辺麻衣さん、9日はゆい・ソレイユさんがあらわれ、自分のことを語ります。

ここは、脚本や演出はなく、すべて即興的にお二人に任せます。そして、その他の参加者はコロスとなり、二人にさまざま問いかけます。考えて見ればどんな会話も「即興」です。自分のことだけしゃべっていたり、大きな声で小さな声を封殺したりしてはイケマセン。みんなの声が聞こえるようにそれぞれ工夫します。ここもなるべく「反応」にならないようにとアドバイスしました。

意味を伝え合うだけの会話(それさえなかなかムズカシイ)を越えて、イメージが拡がり、繋がり、思ってもみなかったことを自分が言い出す、答える、それを自分が、他者が、聞いて驚く・喜ぶ、というのが理想でした。ここはまだ本番でも「できあがらなかった」部分でもあります。時間のかかる作業でしょう。

*麻衣さんは、関西での子供の頃の思い出を語り、ご詠歌まででてきました。ご詠歌が日本のスピリチュアルな歌の伝統であることを皆が知ります。遠藤実さんの作曲のご詠歌もたくさんあるのです。歌謡曲や民謡以外にこういう伝統もある。

ゆいさんは、ご自身の名前の由来から即興的に話を展開していきます。違和感・輪郭・境界もテーマでした。

故郷なき郷愁、嘘のない自分、本当の自分、違和感のない自分、知らなかった自分の記憶、などがダンスや音楽を通じてみえてくるのか?所詮そんなものはないのか?それならば?いや自分で決められるものでもなかろう。というような予感・予見を漂わせ第2場へ転換。

第一場終了。