野村喜和夫さんとの思い出

 

野村喜和夫さんと

明日の新曲で詩を提供してくださった野村喜和夫さんとの思い出をふり返ってみました。

ノイズメディアという時代を先取りしたような事務所名を使っていた音響エンジニア川崎克巳(物故)さんの紹介でお目に掛かりました。(私のLP,CDを録音してくれていました。)野村家へおじゃますると奥様(野村眞理子さん)が「今、詩人がきますのでお待ちください。」と言っていたのを「へ〜」と思ったのが最初。「詩の外出」というイヴェントでした。その後、「風の配分」でのパフォーマンスや、英語訳がでた記念の東京湾クルージング朗読会、また、眞理子さんのフラメンコ公演で何回か共演しました。(川崎さんの追悼公演もありました。)王女メディアもあったな〜。

とりわけ思い出深いのは、メキシコシティでの現代詩祭へお招き頂いたことでした。彼の地は、詩を愛し、言葉を信じ、ガイコツをこのみ、人生を楽しんでいました。満員の会場で喜和夫さんの日本語での詩の朗読に音をつけ、スタンディングオベーション。

高際裕哉(Yuya Takagiwa)さんが現地スタッフになってくれて、フリーダ・カーロの家へ行ったり、ディエゴ・リベーラの壁画を見たり、トロツキーが滞在したところを通ったり、楽しい旅でした。コントラバスを横に置く奏法をやり始めた頃でした。レンタル楽器を傷つけないように「楽器を横たえる絨緞ありますか?」と舞台スタッフに聞くと「あるよ、飛ぶヤツあったかな?飛ばないヤツでもいいかい?」と答えたのは、さすが〜!と思ったものです。

帰国後、その頃、ポレポレ坐で始めた「徹の部屋」にゲストでお招きしました。
ドアを開けて入ってきたときもビックリ。カツラをつけてきました!ともかく面白いこと大好きで、アングラ映画に出演したりもなさっていた頃でした。プロジェクターで詩を投影し、その場で詩を変えたり、紙に単語を抜き出したり、興味深い試み満載でした。

徹の部屋一年目のしめくくりだったので、次のようなプログラムを書きました。(若いな〜)

徹の部屋vol.5
キワーオとテッチーの 失われた「ンラス」を求めて。

失われた「ンラス」を求めて詩人キワーオと楽人テッチーが旅に出ることになりました。あてのない旅。二人は義務感に燃えたふりをしています。ちょっと気恥ずかしかったようです。だって「ンラス」が食べ物か、生き物か、鉱物か、神様か、感情か、お祭りなのかさえも知らなかったのですから。

「ン」から始まるものはきっとアフリカだよ、バオバブの写真の前でポレポレーゼが言っていたので、きっとそうだ、そうに違いない、そうじゃないハズがないと、アフリカに行きました。カサブランカでスーフィーの踊りを観ているうちに目が回ってしまい、あっという間に150年経ってしまいました。何しに来たのかも忘れちゃった。

海岸でボーッとしていたら、早朝、ウミガメのジャッキーが卵を産みに来ました。何万年も生きている彼女なら、我々が何をしに来たのかきっと答えてくれると思い、相談しました。「わたし、わからないよ、でも、いまから『ふるさと』を探す旅に出るから、何なら背中へ乗ってもいいよ」「ぜひぜひ、お願いします」。てっきり海を泳ぐと思っていたら、二人を乗せたジャッキーは青い羽根を全身にまとい、世にも美しい鳥に変身して、グイッと空を飛びました。

キワーオとテッチーは楽しくて、またはしゃいでいます。この二人はすぐに遊んじゃうんですね。経験を学習できないタイプの遊民なのでしょう。あーあ、それ見たことか、はしゃぎすぎて落っこっちゃいました。フワッとした柔らかいものの上だったので怪我はしていません。何だろう?それは三匹のヒツジの背中でした。ヒツジ達は両足に1本づつ弓を縛り付け、一心不乱に弦を擦っていました。調子っぱずれの音ばっかりで、最初は「何てヘタなんだ。しようがないな~。早く止めればいいのに!」と思っていたのですが、気がつくと思いの外、良い感じで、思わず引き込まれてしまいました。目をつむって聴いていると、蜃気楼にさらわれ、フワーッと右上方へ空中浮遊してしまいました。

すると、四匹の竜が絡み合いながらすっごいスピードでグニュングニュンとやってきました。鱗が螺鈿細工のようにキラキラ光っています。よく見ると、アルゼンチンタンゴや韓国のシャーマン音楽を楽しそうに歌ったり踊ったりしているのです。楽しそうだな~、でもまぶしすぎる~、と目をつぶった瞬間、その中に吸い込まれてしまいました。すると四匹の竜は、急に方向を変え、天を目指してスーーーーーっと昇っていくではありませんか。

なすがままのキワーオとテッチーは、ヒャーーーー最新式ジェットコースターみたいだ、いやその百倍すんごいよ、なんてったって、上に向かって落っこちているんだから。またのんきに楽しんでいます。天に着くと、農業の神・ミーンが木の根っこを引っこ抜いていました。茶畑にするんだ、ちょっと手伝ってよ、というので手伝っている内に「こういう、地に足の付いた生活こそ、我々には必要なのだ。本物の詩や音楽は、こういうところから生まれるのだ。そうだ、ここで暮らそう。」と殊勝に思いました。その上、ミーンのお布団ダンスはとても素敵だったので、それを習いたかったこともあります。旅の途中で出会った三匹のヒツジや四匹の竜も高円寺での宴会には来て騒ぎました。そうこうしていると250年ほど過ぎました。(何年経ってもミーンのようには踊れませんでしたが。)

ある朝、大きな宅急便が届きました。送り主は画家のユージーさん。中身は巨大な木をくりぬいた、朱色と水色と金色と肌色のそれはそれはきれいなボートでした。「このボートに乗ってください、きっと『ンラス』がみつかりますよ。」と手紙に書いてあります。「あ、そうだ、私たちは『ンラス』を探しに来たのだった。」と思い至ったのか、すっかり忘れているのに、思い出した「ふり」をしたのか、すぐにボートに乗りこみました。ロバの花嫁が先客です。ボートをよく見ると「minamihe」と暗号らしきものも見つかりました。

長い長い船旅です。寒帯から熱帯へ潮が変わる頃、キワーオは「風の配分」に心を奪われ、詩を書き始めました。すごい勢いです。ボートはコトバ・コトバ・コトバ・コトバであふれかえりました。居場所もままならなくなったテッチーは船底に移動、そこに一本ぶっといガット弦が張ってあるのを見つけました。それを叩いたり、擦ったり、はじいたりすると面白い音がでます。そしてその揺り返しの音がンラス・ンラス・ンラス・ンラスと聞こえてきました。それが面白くて面白くて、テッチーは夢中でンラスを出して悦に入っています。

ボートの上も下も右も左も前も後ろも、斜め上も斜め下も、斜め右も斜め左も、斜め前も斜め後ろも、「コトバ」と「ンラス」でぎゅうぎゅう詰めになりました。ふと気を抜くと、「コトバ」と「ンラス」が混ざり始めました。コトバ・ンラス、コトバコトバ・ンラスンラス、コストンラバ、ストラコバン、ラバスコトン、ストコランバ、トラスンコバ、コバストラン、最後に、1つおきに合体して、コントラバスが生まれましたとさ・・・・・・うそ。

注釈:
       
ウミガメ~青い鳥:第1回徹の部屋、
南アフリカのダンサー ジャッキー・ジョブが「going home」と題して、自らの記憶の「ふるさと」をテーマに踊る。

三匹のヒツジ:第2回徹の部屋
ヒツジ年生まれの三人のベーシストがヒツジのガット弦を使って演奏。ベースを横にして演奏するスタイルを試す。オンバク・ヒタムの流れを確認。

四匹の竜:第3回徹の部屋
螺鈿隊(四人の箏アンサンブル)と、第2回とほぼ同じ演目で演奏

ミーン:オンバク・ヒタム@座高円寺
コントラバストリオ・ヒツジと螺鈿隊に田中泯氏が加わる。第3回の演目を大幅に削ぎ落とす。

画家ユージー:第4回徹の部屋
小林裕児氏のライブペインティングと演奏。小林氏製作のボートにガット弦を張って演奏もした。

詩人キワーオ:第5回徹の部屋
野村喜和夫氏を迎えての今年最終回