花・鳥・風月

 

今回のために作曲をしていて、そして、泰子さんとリハーサルをしていて、毎回多くの気づきがあります。

私はコトバに入り込むように作業しているので、その詩人の頭の中がふと見えるようなときがあり、さらに、できた曲は私の意識を超えて詩人により接近しているようでもあります。詩人にしても音楽家と同様に、すべてをコントロールして詩が生まれるわけではなく自分を越えて「こんなんでました。」のようなこともあるのだろうと想像します。

複雑かと思っていた詩がとても素直だったり、迷宮に入り込まざるを得ず、私も泰子さんも迷ってしまうもの、ちょっと恥ずかし~かなと思っても案外それでいいのだ、と思ったりです。

女性と男性の差は本当に大きく感じます。男性詩人は観念的だったり、教条的だったり、夢見がちで、時に快楽的(逃亡的)、ちょっと甘えん坊。それに対し、女性詩人は命の繋がり、賛歌、逃げずに堂々と命に対峙しています。そして日常生活を楽しむ!

際どいトピックですが、自殺率の男女差を気になって調べてみたら日本では男性は女性の2.5倍、外国でも同じ傾向。やっぱり。女性は命を直接に繋げているから、自ら断つことなど考えもしないのか?それゆえにか、アルフォンシーナ・ストルニの入水は記憶に残るのか・・

一方、生物は、花や植物・動物・昆虫も、性による繋がりを選んでいます。違う可能性を求め、より繋げたいからのようです。花には自家受精する花もあり、動物には雌雄を時期で分けるものもありますが、ともかく生物は雌雄が大半です。風媒花・虫媒花などなどあらゆる戦略を巡らせ花粉を虫に運ばせる。フランスなどは名詞でさえ男と女を分ける。

私たちは自ら選んで男になったわけでも女になったわけでもなく、選んでこの時代・この国・この両親から生まれたわけではなく、必ず死ぬことが分かっていながら生き続ける不思議な存在です。