生きている一瞬一瞬は、「通過点」で「目的地」ではなく、過去と未来を繋げる点に過ぎません。しかし、視点を変えると、そこはいままでの「到達点」であるとも言えます。自分が生まれる前からずっと続けてきた到達点。
40年前から私の音楽活動を知っている人から、ドイツでの自閉症タンツテアター「私の城」や聾やダウン症の人達との共演が、私のライフワークに辿りついたな、と言われたことがあります。そのときは「?」と思いましたが、ジャズ、クラシック、タンゴ、インプロ、歌、アジア、伝統音楽、民族音楽などを経てきた「到達点」でもあるのでしょう。
いま自ら積極的に取り組んでいる仕事は「うた」作りです。新生児・妊婦さんの集まるフクシマ原発の避難所で演奏した時に直感したこと「いま・ここで必要なのは歌であり踊りだ!」。
ダンスとの共演はますます増えていますし、歌作りはテオ・アンゲロプロス、トニオ・グエッラの映画の台詞に作曲したり、乾千恵さんのことばによって「オペリータ うたをさがして」上演、引き続き「うたをさがして」トリオの演奏と続けてきました。
そして、病を得た今もその思いは変わらず、今回の取り組みは、同時代の詩人のコトバに曲を付けるというところにいます。
そのきっかけの1つは、画家 小林裕児さん、女優 内田慈さん、演出 広田淳一さんと何回か行った宮沢賢治作「土神と狐」上演の際、台詞に少しメロディを乗せたことがあり、思いのほか評判がよかったことがあります。私としてはちゃっちゃっとやったに過ぎませんでした。
また、何十年も前に劇団「太虛」TAOで十年近く演劇の音楽を作ったことも遠因になっているのかもしれません。
「うたをさがしてトリオ」の最後のレパートリーが渡辺洋さんの「ふりかえるまなざし」でした。洋さんと私の家は歩いて1分以内にあり幼稚園・小学校と一緒でした。その後、優秀な彼は開成・東大・三省堂と進み、詩人として何冊も詩集を出していました。
ひょんなことで再会を果たし、お互いの詩集とCD,DVDを送りあったりして、いつか曲を作るね、と約束していました。あろうことか、3年前に急逝してしまいました。最後の詩集の最後の詩が「ふりかえるまなざし」でした。あのインテリの彼の最後の詩がぜんぶ「ひらがな」でした。それに曲を付け追悼としました。
今年2月にエアジンで急に空きが出て演奏することになりました。よしっ、と松本泰子さんとDUOをやりました。いままでの歌のレパートリーに加え、エアジンの紹介があった三角みづ紀さんが1曲書き下ろしをしてくださり、1曲は詩集から選び、前から知り合いだった薦田愛さんが2つ提供してくださり、5曲を新たな気持ちで演奏しました。
今回は、タンツテアター「私の城」上演のブッパタール滞在中に六日間休暇があり、歩き回る元気はなかったので小旅行は中止し、部屋で作曲に取りかかりました。もってきたいくつかの詩集をめくって、曲を付けます。詩人の頭の中が見えるようでした。そうすると自然にメロディがでてきます。全詩人とも個人的に知り合いです。
作曲するだけで満足できるという「作曲家」ではなく、より良いものを作りたいという欲もさほどないので、すぐにできました。早書きの誹りは免れないでしょう。でもそれでいいのだ。今、これをやりたいのです。
曲目
「ふりかえるまなざし」渡辺洋 「最後の恋」まなざしとして 書肆山田
「pilgrimage」三角みづ紀 書き下ろし
「患う」三角みづ紀 「私を底辺として。」現代詩文庫 思潮社 「かなしやる」
「てぃきら、うぃきら、ふぃきら、ゆきら、りきら、ら」薦田愛
「ひが、そして、はぐ。」薦田愛
「防柵7(沈めよ、顔を)」野村喜和夫 「ヌードな日」思潮社
「防柵11(アヒダヘダツ)(ルリリ)」野村喜和夫 「ヌードな日」思潮社
「遠いあなたに」寶玉義彦 「picnic」思潮社
「青嵐の家」寶玉義彦 「picnic」思潮社
「デュオニュソース」木村裕 「宇宙の約束」2006~2011ブックワークス響
「雫の音」木村裕 「宇宙の約束」2006~2011ブックワークス響
「はじまりの時」市川洋子 同人誌「森ノ道」より
現代詩と音楽というと、いわゆる「現代音楽」が通例でしたが、今回は違います。ポピュラー音楽です。言葉の数が揃っていない(歌詞ではない)韻がないものが多いので、繰り返しのメロディやAABAというような形式が使えません。
が、まさにピッタリの才能をお持ちの松本泰子さんのおかげさまで実現出来ます。ありがたいです。多くの偶然が集まってくれています。
歌もコントラバスもマイクを使いません。
何曲かは聴衆の皆さまのちょっとした参加も考えております。
8月3日 合羽橋 「なってるハウス」 7曲初演!
9月15日 成城学園前「アトリエ第Q藝術」ゲスト:庄﨑隆志(手話・ダンス)チラシは制作中のものです。