からだから

自閉症タンツテアター「私の城」2回上演のために1ヶ月滞在していると、関係者にも会うし、自分の不具合も増してきているので身体のことを考えることが多くなります。

周囲に恵まれていて、いろいろと心配してくれます。有り難いことです。本当に感謝しています。

ここで注意しなければならないのは、「病人」になってはならない、ということでしょう。

野口晴哉さん曰く、病人は絶対の権力者で病人の言うことは大概きいてくれる。私の周囲も親切で人の気持ちを思いやる人ばかりなので、なにかと心配してくれます。それに従っていると私自身が完全な病人になってしまうという危惧があります。

私の程度の病人は言ってみれば「楽」ができます。キツイ労働、忙しさ、から免除され、ちょっと辛そうな顔をすれば、「そこのそれ取って」でも「水がほしい」でも、たいがいは聞いてくれます。それに慣れてしまうと、自ら動くことも少なくなり、病人の楽さに陥ってしまい、筋力は衰え、被害者意識を持ち、傲慢になり、悪循環。

野口晴哉さん曰く「病」を含んだ健康を忘れないようにしないとイケマセン。指の骨が変形してきて、手がこわばってきたのも、私を生かすために、身体が闘っているのだ、と身体にエールを送り、あたふたせずに静かに見守るしかないのでしょう。

6月に入ってからの過密スケジュールを乗り切って帰国し、粛粛と生きていきたいと心より思います。

世の中を飛び回って活動している人たち、身体・知力をつくして表現している人達がまぶしく見えます。

みんなほとんど同じ身体をもっているので病気の人も、ハンディキャップの人も共有していることが多く、共感できるのです。そういう視点から「自己表現」だけではない。みんなの願いであり希望なのです。

帰国すぐのエアジンでの竜太郎セッション(矢萩竜太郎・ゆいソレイユ・徹)でも、7月13日アトリエ第Q藝術での(矢萩竜太郎・熊坂路得子・徹)でも私の中のテーマは竜太郎さんの言った「ぼくのからだはこういうこと」です。どうしようもない状況の身体を託された者は、それを受け入れるしかありません。

堪える=patient=患者 という側面と、この症状も闘っている証しだという側面を意識して、なにがあってもおたおたせず、そういう人にわたしはなりたい。