ドイツ便り 1

大きな忘れ物をして、かなりあたふたしましたが、当地(ドイツ)で手に入れることができ心底ホッとして、やっと日記を書く気持ちになりました。

人生をシンプルにすることがこれから残りの人生でどれだけ大事なことか身に染みたはずでしたが、やっぱりミスをして余計な時間・気持ちを使い、複雑にしてしまいました。反省あるのみですが、いつになったら「学ぶ」のでしょう?情けなくなりました。なんともできないこの気持ちはブルースや演歌を歌う「権利」を手に入れたのか、やっと音楽をできる資格を得たのか?など楽観的に前向きに捉えましょう。

ともあれ、「私の城」再再演のためにドイツにきて定宿になったジャン・サスポータス宅に居候しています。今回はケルンとボンでの公演。思えば、調査のために渡独、ジャンと自閉症施設への訪問や様々なインタビューから始まり、翌年初演。初演のリハーサル中に不調に陥り、入院。心臓カテーテル手術。なんとか初演を果たしました。

そしてキャン発覚、開腹手術、もう無理でしょう諦めてゆっくり余生を送ってくださいね、と言われましたが、セカンドオピニオンで化学療法を始め、2週間おきの治療日を医師と相談の上、なんとか都合して、昨年4月渡独、再演決行。

7月に手術。全摘。ただ今、副作用の手足の痺れ・浮腫みはますます活発になっています。キャンには完治という言葉は使わないとのこと。手術が成功したとしても、寛解と寿命とのせめぎ合い、一期一会そのものの時間です。

そんな中ですが、こうやってまたブッパタールに来ることができました。ありがたい。すばらしい仲間と仕事ができます。国際交流基金に3回とも旅費の助成をしてもらったので実現できている現実もあります。感謝に堪えません。(同じ企画への助成は3回まで、ということなので今回が最後です。心して臨みます。)

この病気にまつわる経験で本当に多くのレッスンを得ました。キャンサーギフトなんて本気で思ったりします。そのなかでも現在の副作用経験では、得がたい視点をいただいています。

「こうやろうとしてもこうできない」「こうやろうとすると逆のことをしてしまう」という我が身の変化は、解釈によって自閉症などハンディキャップの方々と同じではないか?彼らも全て分かっているのに「普通」の反応ができなかったり、逆の反応をしてしまったりしているという可能性はないか?東田直樹さんの著書にも、そう書いてありました。それが正に実感できました。(「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」など。)

そして、インプロヴィゼーションとアール・ブリュットの関係にも視野は広がりました。インプロでは表現するのではなく、他者に思いっきり時間と空間を与え、自分は「聴く・待つ・信じる」。その上で、遠慮なく思いっきり自分を(知らなかった自分)を出す。アール・ブリュットでは、そのダイレクトなショートカットが活きているのではないか?「人知れず表現し続ける」ということも考えさせられます。なにかが突き動かす。人を喜ばせるためでもなく、人と繋がるためでもない。

ダンスに惹かれる理由にも新たな視点を得ました。38億年とも言われる生命の歴史の突端にいる私たち。その身体は何一つ自分で作ったものではなく、皆で共有している。「仲間」として共通に持っている身体への慈しみ・愛おしみ。こうやって何億年かかけてやっとここまできました、これからどうなるのか?全く分かりません、まして自分では何もできません、しかしまわりを見渡せばこんなに多くの仲間がいる。

公害、薬害、放射能で痛めつけられた身体もハンディキャップを持つ身体も、鬱の身体も私たちと同じ身体です。均整の取れ鍛え上げられた身体もストレスでメタボになってしまった身体もほとんど変わりない。

そういう大きな流れでハンディキャップを捉えることが、自分自身がハンディ(癌・突発性難聴)をもつとますます実感をもって考えられるのです。そしてこれらの私の気づきはすべて繋がっていることを発見し、めまいがしそう。

本日はリハーサル初日でした。手順、内容、絡みなどなどいろいろと思い出しながら、そして「いま・ここ・わたし」を思いっきり盛り込んで公演へ臨みたいと思います。グラシアス・ア・ラ・ヴィーダ!
JF