「いずるば」ワークショップ ゲスト小林裕児さん

冷たい雨が続き、世の中を見ても、心身共にちょっと参っていましたが、心がポッと暖まるような、「うん、そうなんだ、これでいいんだ」という貴重な肯定をもらったようなワークショップでした。

それは小林裕児さんの経験に基づく、飾らない、そしてシンプルな確信からくるのでしょうか。集まった聴衆・スタッフをそして私自身を大いに勇気づけてくれるものでした。

3月11日、ちょうど1年前の3/11にワークショップ第0回をしました。抗がん剤治療終盤に入る頃で副作用もキビシクなり、手術の可能性も定かではなく、心身共に不安定を極め、しかし、ここ「いずるば」でなにかやりたい、と思って矢も楯もたまらず企画を持ち出し、多くのスタッフの多大な尽力で第0回に至ったのでした。

それからドラマのような一年を過ごし、生き延びて、ゲスト回最終で小林裕児さんをお迎えし実施できたことはたいへんうれしいことでした。

なんでもない一つ一つのことが幾多の経験(成功・失敗)による知恵に満ちています。うしろから微笑みつつ見守ってくれる長老のように、余計なことは言わず、任せるところは任せ、なによりその場で起きることをご自身でいちばん楽しんでいらっしゃる。人生で大概のことを経験した末に「かろみ」に達した、とでも言うのでしょうか。前提がまるで違っているのです。自分にとっての優先順位は決して揺るがず、いや、揺るぎようがない。そういう迫力さえある。

インタビューをはじめて少し経つと、「即興」とは何か、という質問さえ無意味に思えるような大きな場になっていることに気がつきます。

その時その場で必要な情報は貪欲に集める一方、余計な情報は決して入れない。それよりは、庭に出没するイノシシを観察し、獰猛に陣地を拡大する竹林と立ち向かう。下手な考え休むに似たり。「正しい」ことなど創造性にとってなんの意味もない。やりたいことをただただシンプルにやる。おもしろがる。みんなで分ける。比較から逃れる。楽しいことをやる。上手な絵からぬけるのに十年かかったんです。徹さんの副作用は、今キツイでしょうが、十年後の身体と思えば良いのです。

示唆・知恵に満ちているとはこのことです。

みんなの心が豊かになったインタビューの後、「浸水の森」の大きな画像データをプロジェクターで「いずるば」の壁全体に投影し、その中で矢萩竜太郎さん(ダンス)、松本泰子さんに「クセニティス」を歌ってもらい、思いついたコトバを皆が発するという実践をしました。スタッフも白い布を揺さぶりながらダンス。3月11日は福島以前はピアソラの誕生日でしたので、すこしハバネラからタンゴへのリズムもだしました。

キャンバスに固定された絵の登場人物・植物・自然が現実世界に出てくるようでした。

休憩中に2012年3月11日に独ブッパタール、カフェアダでの「Looking for KENJI」(ジャン・サスポータス振付)映像を流しました。ここでも「浸水の森」のスライドが使われ、皆藤千香子さんと初共演、喜多直毅さんを初めてブッパタールにお呼びした時です。上演後の質疑応答で、「ドイツは福島の事故を鑑みて原発を廃止することにしました、なぜ、日本は原発廃止しないのか?」という質問を受け、ドギマギし、「利権と核兵器」と答えたことをいまも鮮明に覚えています。

第2部全員参加で1枚の絵を描く。
あらかじめ、裕児さんが、横長の大きな紙を壁に貼ってあります。床や壁を汚さないようにさまざまな工夫もしてあります。わざとやりにくい長い絵筆を多数用意、その数に合わせて絵の具を用意。これらのこと一つ一つがどれだけ多くの経験に基づく貴重で選りすぐられた結果であることか、目が眩みそうですが、そんなそぶりは全くありません。

点を描くグループが描き終わると、線を描くグループ、もう竜太郎さんも黙っておられず、ヴォイスやダンスをします。(声で絵を描いていたんだよ、とのこと)。最後塩崎綾子さんを指名して形を描いてもらう。それが大きな鳥でした。すかさず、裕児さん登場して全体をまとめ浮き立たせるような画竜点睛。

高揚感に浸る全員と輪になってさまざまな意見交流。
そのなかで裕児さんが「コトバで伝える、教えることは本当に難しい。不可能かも」ということをおっしゃる。たしかにこうやって全員で描くと大量なものが自然に得られます。実感。

裕児さんの絵にはよく「コトバ」「KOTOBA」という吹きだしがついていて気になっていました。

一歩外に出ると、公文書偽造・改ざん・歴史書き換え 虚偽答弁 の話題で騒然となっています。そんな世の中、コトバを信じろと言えません。コトバを愛せと言えません。

庄﨑さんに習ったノンバーバルコミュニケーションのことを思い起こします。

しかし、それだからこそ、だからこそ本当のコトバを感じたい、得たい、歌いたい!

私が松本泰子さんとやりはじめた詩人と歌を作る試みも、裕児さんが「KOTOBA」と吹きだしに描く試みもそんな幻視・憧れなのかもしれません。第一部でやった「クセニティス 何処に行ってもよそ者」もディオニソス・ソロモス(ギリシャの詩人、ギリシャ国歌158番まで作った)のことをあつかったアンゲロプロス「永遠と一日」からのインスパイアでした。「詩人が言葉を買うぞ、詩人が言葉を買うぞ、詩人が言葉を買うぞ・・・」というリフレイン。

うたう歌を!