身の回りを暖かくしていても、この寒さは身体に直接(間接)影響するようです(気圧のせい?)。
明日の演奏予定をユックリアーでもないコーでもないと練って、なんとか不調を凌いでいます。
やることがあると、そして、そのやることが人々と繋がることだと、なんとか凌げるようです。それが生きるということかもしれません。
エアジン通常の2部制を考えて、旧曲を第1部に、新曲はまとめて第2部にします。
旧曲はテオ・アンゲロプロスの映画から中心に取り上げようと思います。
クセニティス(何処に行ってもよそ者)に、「詩人が言葉を買うぞ」という言葉があります。歌のことばを探すこのデュオの成り立ちから言ってふさわしい曲です。
ディオニソス・ソロモスという19世紀のギリシャ詩人(ザキントス島)。オスマントルコからの独立蜂起に合わせて滞在先のイタリアからザキントス島へ帰る。自由を教えようにも、革命賛歌を書こうにも、死者を弔おうにも、イタリアで育ったので母国語が分からない。そこでさまざまな場所に行き、言葉を買います。詩人が言葉を買うぞ、という噂が広まります。ソロモスさんは実際にギリシャ国歌を書きました。なんと158番まであり、ギリシャの歴史そのものだそうです。
ザキントス島は、私の数少ないギリシャ人友人の一人ディミトリス・マリノスさんの故郷です。彼は現代音楽マンドリン奏者で、ルチアーノ・ベリオが亡くなる時に彼のためにマンドリンの「セクエンツア」(独奏楽器のためのシリーズ)を書いていたとのこと(残念ながら未完)。彼に会ったのは、なんとアラスカでした。ジョセリン・クラークさん主宰のクロス・サウンドフェスティバルで私と彼がフィーチャーされたのです。落ち着いた物腰と、思考深そうな外見なので大分年上かと思ったらかなり年下でした。ギリシャ哲学の顔なのです。
「目を閉じて」「コルフーラ」「霧の中の風景」など・・・
「Pilgrimage」ほっかほかの新作。ファド風の曲になりました。ファドには宿命という意味があるそうです。アマリア・ロドリゲシュさんの声はファドそのもの。「どういう形でもいいから、ポルトガルで死にたい」という歌には揺さぶられました。みづ紀さんを思うとなんともファドでした。みづ紀さんに曲を送る前、泰子さんに聴いてもらうと「移動する」イメージだったというので、言葉が送られてきたときちょっとビックリしました。サンティアゴ・デ・コンポステーラはポルトガルのすぐ北。
「ひが、そして、はぐ」は通勤電車の様子から詩になっています。泰子さんがOLのころ満員電車通勤で肋骨を折ったという話を聞いて、この詩と繋がり、通勤ブルースになりました。(もちろん満員電車辛いよ〜という詩ではありません。)泰子さんは、「こんなことばっかりでは、私はいつ歌うのだ?」と思って勤めを辞め、歌に専心したということです。きっと彼女にしかできない表現ができるでしょうね。
その他盛りだくさんです。
言葉を意識する、詩を思う、人を思う、そんな経験になりそうです。
寒いけど、ほっこりするライブにしましょう。
私の写真:菊地 健志さん撮影