ワークショップ ゲスト庄﨑隆志

 

外国で、自分一人がそのコトバを理解出来ず、延々と皆が話し続けている間、自らをふり返ったり、物思いにふけったり、周囲を観察したりすることに集中できて案外楽しいと言う経験があります。

庄﨑さんの観察する能力の高さには驚きます。観察しているうちになりきってしまう(憑依?)こともあるのでしょう。

北海道の馬と都井岬の馬の家族の様子をやってもらったのですが、一頭一頭、お父さん、お母さん、子供、すべての表情が「さもありなん」という感じで周囲に微笑みを呼び起こします。何の真似をするにも基本に温かい愛情があるのですね。それを支えるのは「信じる」「待つ」そして「聴く」チカラ。回りでペチャクチャしゃべっているのを見ながら、彼はひとり静かに我が心と対話し、回り人達の心の奥や、虫・花・空・自然と対話しているのでしょう。

両手の指で男と女を表す演目は、小学生から大人まで大人気です。ステレオタイプをして楽しませながら、それをふと越える瞬間を出して、人を魅了します。笑顔が心を開き、ミラーニューロンで伝染していきます。

彼が思い出す記憶の歴史の中でさえ(50歳代半ば)、「障がい者は子供を持ってはいけない」と言われていたそうです。将来の生きる方針が定まらない中、松山善三さんに、あなたには「演じる権利があるのです」と言われ、演劇の世界に飛び込み、1000ステージ近くやってきたそうです。演じる権利とは生きる権利に異ならず。それを実践し、勇気を与え、伝えているのです。

ドローイングの描写力は先週、成城学園でのLIVEで目にしました。

「カメラマンおじさん」という演目があります。上演前にまだ照明のつかない会場を見渡し、1人を選び、ほんの1分以内で、似顔絵を描きます。舞台では、偶然その人を選んだようにして、いろいろと楽しんだ最後にその似顔絵がカメラからでてくるのです。会場中、ビックリ仰天です。失敗ばかりしているダメダメ手品師が最後に大ネタをバッチリ決めるような感じ。

このチラシの馬も描いてくれました。そして私の手術前には、「大丈夫Tシャツ」を描いて送ってくれました。お陰さまで今日があります。

1/28 「いずるば」ワークショップ ゲスト 庄﨑隆志さん をお楽しみに!

以下、チラシに書いた文章です。

庄﨑隆志さんと初めてリハーサル(牡丹と馬・遠野物語)をした時 「あ〜、こういう出会いをするために活動を続けてきたのだ!」と直感しました。
同行した我が娘も同様に思ったそうです。それほどその衝撃は大きいもので、私の人生に とって大事なものだったのです。

その後、ジャン・サスポータスさん(ピナ・バウシュ舞踊団の ダンサー)、矢萩竜太郎さん(ダウン症のダンサー)、 セバスチャン・グラムスさん(ドイツのジャズベーシスト)、久田舜一郎さん(能の小鼓)、ウテ・フォルカー さん(アコーディオン)、ヴォルフガング・ズッフナーさん(チューバ)とのセッション、Eテレでのコント(3種)、 アントナン・アルトーもの(いずるば)、シェークスピア・ハムレット波無烈斗(TACCS1179劇場)、 宮沢賢治もの(ターニング)、北斎もの(シアターχ)、さまざまな忘れがたい共演を続けてきています。

その間、「聞こえる」「聞こえない」は、話題になったことも、問題になったことも1回もありませんでした。ライブで、終演まで彼が「聞こえない」ということに気がつかず、感動していた聴衆が、実際に何人も いらっしゃいました。 私は、経験不足から、なんとお呼びしたら良いのか「聴覚障害者?耳の不自由?聾?聞こえない人?障がいって書くの?障碍って書くの?障害でいいの?」さえも知りませんでした。

(聾というコトバに誇りを持っているという事です) 聾文化にまつわる表現・LIVEでは、観客・聴衆・共演者が分断してしまっているように感じます。 絵もダンスも演出も演技も、何とも素晴らしい庄﨑さんの活動・芸術を、さまざまな共演者・聴衆・観客と分かち合うのが、私の役目と思いました。聾の世界で引っ張りだこで大忙しの庄﨑さんですが、まずは、 私の関係する人々(共演者・聴衆・スタッフ)と分かち合いたい。 それをしないのは、あまりにも「モッタイナイ」。

この「いずるば」での私のワークショップ初回に庄﨑さんが参加され、白川静さんの「音」という漢字の 由来の話をしたとき、大いに共感してくれました。
(音は聞くものではなく、待って、神の意志で水を揺らすのをみるという説)。

人間は70%が水分だと言います。音も色も振動です。音の振動は人間の身体のなかで一番固いという蝸牛(渦巻き管)の中の水分をふるわせて聞こえます。庄粼さんの蝸牛の中でもそのリンパ液 は揺れているのだと想像します。

ハンディキャップや病気と関わるとき、まず、「な〜んだ、違いなんて無いじゃないか、みんな一緒なんだ、同じなんだ」という段階を経て、それでも「やっぱり違うことを忘れてはいけないのではないか」というステップ に進み、それをすべて越えた地平は何処に可能だろうか?というところへ行くように思います。

私自身が 大病になりより深くそれを理解しました。

今回、ワークショップにゲストとしてお出でいただくことになり大変光栄に思います。
いままで、ハンディキャップの話題は健常者からの発想に傾いていたと思います。今回の機会では、庄﨑さんからさまざまな話を伺い、今さら聞きにくいようなこともドンドン聞いてみたい、と思います。また、ワークショップでたびたび 話題に上るミラーニューロン(ものまね神経)も興味深い。その話もしたいな〜。 いままでのワークショップの流れも活かし「即興」のこと、「アジア・日本」のこと、「身体」「自由」「音」
「コミュ ニケーション」「所有」「根を持つこととは根を持つこと」「身体に聴くこと」など、他のゲストにも伺った同じ 話題にも触れていきたいと思います。
大変たのしみにしております。多くの皆様と共有できることを心より願っております。
<齋藤徹>