ゾーン、引き出し

ワークショップのFBへの村上さんの投稿のキーワードで「ゾーン」「引き出し」という単語に思わず反応してしまいます。

タルコフスキーファンとしては、ゾーンといえば「ストーカー」のゾーンですよね。あの何にも無いただの原っぱを想像力だけでもの凄い空間にしてしまい、長時間飽きさせません。

私の中では、そこで「引き出し」にも繋がってしまいます。

花伝書に曰く秘密の「手」(引き出しと連想します)を隠し持っておくべきだ、それを相手に悟らせてはダメ、と言いながら、実際に持っていなくても、持っている振りだけでも良い、とさえ言います。「空っぽの引き出し」ですね。

近藤真左夫監督(スタッフの一人)が打ち合わせの時に披露してくれた黒澤明監督のエピソードでは、小道具の箪笥の引き出し(この場合「抽斗」のほうが似合います)には、例え映画に映らなくても着物を入れて置かねばならない、ということ。実際に、関係の無い文書を適当に選んで封筒に入れて小道具にしていたら、監督がたまたまそれを開けて、不実を露わにした、と言うことでした。嘘はイケマセン。

敬愛するテオ・アンゲロプロス監督は「エレニの旅」の撮影時、村を実際につくり、スタッフに生活をさせ撮影。洪水のシーンは本当に洪水させたそうです。

私が思い出したのは、元藤燁子さんの公演で土方巽さん振付の「大鴉」。開演30分前から幕の直ぐ後ろに板付きで頭に鴉の剥製を付けたままうつむいている、と言われたことを思い出したとのことで毎回そうしていました。幕が開いていないのですから、もちろん聴衆には見えていません。

重い剥製を載せたままうつむいているのはさぞや大変なことでしょう。どうせ見えないのだから、と端折ってはイケないのです。その30分間が与える身体・精神への影響を想定しての振付だったのでしょう。

「引き出し」というと、即興演奏の場合、技法、得意技、特殊奏法、飛び道具、などと連想してしまいます。即興演奏において「引き出し」の開陳を「即興」と勘違いをしているのをよく見ます。

舞踏ダンサーが最後に脱ぐことを決めて褌や白塗りをして準備しているのに「即興」と言っているのを連想します。引き出しを1つずつ開けていき、最後の引き出しを開けると終演。

エンターテイメントとしては有効でしょうが、得意技をやる場合は、共演者にとっても聴衆にとって時間と意識を奪ってしまいます。

そんな話題もワークショップで取り上げていきます。