何という日々

我が家にとって大変な3週間でした。おそらくこれ以上のことは今後ないのではないかというほど。

5日入院、7日手術(8時間・患部全摘・転移なしという満点手術)、8日ミッシェル・ニン来日、ICUで時計が見えるようにベッドを工夫してもらい、空港の様子などを想像。身体には7本のチューブ、酸素マスク、血栓予防の自動マッサージ、自動血圧計。9日ICUから移動、ミッシェル・ニンツアー初日、

空港出迎えから食事、車移動、ビデオ撮影、CD販売まですべてお世話(家族と鈴木ちほさん)、グルテンフリーの2人には食事も普通ではいきません。

11日、ツアー中、数少ないオフだったので、病院に見舞いに来てくれる筈でしたが、私の傷口が痛み、会える状態ではなくキャンセル。2人は近所の温泉。なんとなく遠い感覚。

首都圏から離れるにあたって運転は娘だけでは無理ということで、石川さん・鈴木さん・黒田さんが各所で運転を手伝って下さいました。本当にありがとうございました。猛暑が続く中、あろうことか、車のエアコンが効かなくなる。ツアー直前に12ヶ月点検を済ませたのに・・・・・。京都主催者のつてで代車を借り、修理工場に預ける。ありがたや。(結局直らず)。

私は、人並み以上に痛みに弱いようで、ヒーヒー言いながらすこしずつ回復していましたが、ある夜中に腹水が吹き出し数日収まらず、退院が長引きそうな嫌な予感。ミッシェル・ニンは順調にツアー続行。ますます2人と遠い。

退院予想は八月上旬でしたが、七月中になるかも、となり、26日になり23日になり22日になり21日になるという、この病院での、この手術(肝胆膵・十二指腸切除)後の退院最短記録を打ち立てての退院となりました。前夜まで腹水は未だ止っていませんでしたが退院するやピタッと止るというなんともドラマティックな展開です。(腹水漏れ用のガーゼなど大量に購入しておいたのに・・)

そして21日はミッシェル・ニン達が関東に戻ってくる日です。また、ニンの二人目のお孫さん誕生、2人と森田志保さんとの衝撃の出会い、2人にとってまさかの国内移動費助成が認められる(30年で初めて)という忙しくもおめでたい日でした。

あまりのドラマティックな展開に調子に乗った私は、「22日が急に空いた。これはエッグファームに行け!ということだ」とばかりにレンタカーを手配し(ちほさん)深谷に向かいました。翌23日のWSの心の準備のためにも皆に会いたい、演奏を聴きたいと思ったからです。もしや、という場合を考えて旅行用の楽器(雅)を一応持って行きました。

感動!の再会、を済ますと、当然のように演奏することになっていました。今日こそはと思って取っておいた庄﨑隆志さん作の「大丈夫Tシャツ」を着用!もう無敵の感覚でした。

沢井一恵さんが弱音のデュオを是非やりたいと提案。五弦琴とのデュオ。後半は全員での40分のインプロを精一杯やりました。

演奏という行為は、無意識に物凄い質・量のエネルギーを使うのでしょう、演奏後に体調悪化、夜中には「病院に戻ることになるかも」と覚悟をしたほどでした。

23日WSでの2人へのインタビューはどうしてもやりたいことでした。そもそもこのWSは昨年一回目の手術の後、回復不可能とされた時に、遺言ではないですが、何か残そうと思って始めたものでした。そしてこの二人をゲストで呼んで話をしてもらうことは初めからの大きな夢でもありました。退院できなくても外出許可をとってこれだけでもやりたいと思っていたのです。

今回のツアーのビデオを流しながらいままでWSで話したことを振り返るように2人に意見をもとめました。打合せは一切ありません。こんなに抽象的で専門的な話をその場で通訳してくださった八巻優佳さんには感謝しかありません。

時間が全く足りないほどキチンと対応してくれた2人にも感謝。内容も濃く、何回も反芻したいものでした。ここで私のエネルギーは切れました。後半のライブは、残念無念でしたが、すぐ帰宅して寝ました。夏美さんとのセッションも本当に素晴らしい物だったようです。どうだい!

それに引き換え、翌日になっても私の症状は治まらずに最終日barber富士もキャンセル。本当に残念。同じ屋根の下に住あんなに愉快な2人とも一時間くらいしか会えていません。

翌日夜中帰国の2人と羽田へ向かう前、2時間やっと会話ができました。この二人のキャラクターがあってこそのツアー完了でした。本当にありがとうございました。

本日からは朝から起きていられ、食慾もやっと出てきました。大事に到らないようなのでよかった~。