病人って誰?

健康の対義語が病気では無いということが最近私の胸を去来しています。

この世の中で一番の真実は「人は死ぬ」ということ、と気がついていた人がいて、漢字の「真」という字は、人が逆さになって死んでいる状態なのだそうです。

上の「十」は人が逆さになっている状態、下の「県」は、首が逆さになっている状態を表し、全体で「行き倒れ」を表し、死者はもはや変化をしない=永遠のもの=まこと(白川静説)

スゴイ発想ですね〜。

逆から見れば、生きることは変化すること=瞬間のこと=即興=まことではない、などと発想が拡がっていきます。

そういう流れで即興や作曲を見るとまた面白い発見があります。

即興の対義語が作曲で無いことも明らかになります。作曲されても奏者によって十分変化するし、即興は嘘をつけるというトピックにも繋がります。

話を元に戻して、

人生、健康の中に病気も不調も含まれているのでしょう。いろいろな状態の中で死に向かって生きていくのが人生。

それが「病人」というジャンルにはいりこんでしまうのは、自らが「病人」と自覚したときであり、それを周囲に認知して欲しいときなのかもしれません。それは病の重い・軽いには関係が無い。

以前、私が突発性難聴になったとき、劇団「態変」(重度の障がい者のみの劇団)の福森慶之助さんと話をしていて、「みなさんの障がいとはくらべものになりませんが、私も難聴になってしまいました。」と自虐気味に話したら「徹さん、障がいというものは重いー軽いじゃないのです。」と優しく諭してくれました。ハッとした私は判断停止になってしまいました。

今なら彼が言いたかったことが、少し分かります。

私は今、病人にはならない、病人では無いと思います。大丈夫、大丈夫。

子供の頃、「シュバイツアー博士」の伝記を読んで、医者になろうと思ったことがありました。そんな話をザイ・クーニンとしていたら、「テツ、何言ってるんだい、テツは医者だよ、人を治している。」ザイは、マレーシャーマンの家系です。シャーマンは古今東西、音楽や祈祷で人を治してきたわけです。そっか、そっか。セロ弾きゴーシュも治していましたね。