現場」感を失わないということは、非常に大切です。現場には膨大で大切な情報が当たり前のように渦巻いていて、その多くが現場を離れると忘れがちになってしまいます。そんなことを考えてライブを少しずつ入れています。40年の付き合いになるエアジン、この日は休日だったはずなのに開けていただき、本当にありがとうございます。
打ち上げで、いろいろと思い出話をしました。梅本さんがエアジンを引き継いで、所謂「ジャズ」でなくても面白い音楽をドンドン取り入れていくと、以前から店についていたジャズファンが文句を言い出し、信念をつらぬいた梅本さんはビッグネームのジャズボーカル、ミュージシャンを出さないようにし、「変」でも、信念を持つミュージシャンを応援し続けました。
私は、エアジンにほとんど初めてタンゴを、邦楽を、ダンスを、障がい者表現を、美術を、持ち込んだ張本人でした。その私が「ジャズ?」を銘打ってライブをやるのですから、世の中面白い!
初台「騒」が閉店するころ、ケルンでの順風満帆な演奏家活動を中断して日本に帰ってきた梅本さんは首都圏のライブハウスをまわり、おもしろそうなミュージシャンを探していました。騒もそのひとつ。そこで演奏していた板倉克行・梅津和時・天野主税・森順治・私などがエアジンに移行。私はその後、高柳昌行さんとのデュオでした。
横濱ジャズプロムナードの隆盛と相まっていろいろと素晴らしい体験をしました。神奈川フィルハーモニー管弦楽団との共演3回、ヨーロッパ即興音楽家の共同招聘などなど。
入院中の病院からそのままエアジンに直行、演奏し、病院へ帰ったこと2回。
さて、時は流れ、昨日。私は病を得、なんとか生き伸びて此処にいます。人生です。このところミュージシャンの他界、ライブスペースの閉鎖などが相次ぎ、決して明るい状況ではありません。しかし、しかし、しかし、そういう時こその「音楽」「ダンス」「美術」「文学」「映像」であるべきです。踏ん張りどころです。
初めて会う3人でリハーサル。流れるように着々と進みました。嬉しいものです。いろいろな瞬間にだんだんと深くなっていきます。そうすると「今・ここ・私たち」度が高くなり、演奏欲がかきたてられます。いま、これを、ここで、私たちがやらねば、と用意していたスタンダード曲がどんどん外れていきます。三人とも音楽の奴隷(マシーン)と化してます。
スタンダードを期待してくる聴衆もいるやに梅本さんに聞いていたので、アンコールでならなりたつかもね、ということでエリントンのブルースを一曲だけ残しました。それも「昔は良かったね」。
こういう選曲になったことこそ、私たちの誇るべき「ジャズ」なのでしょうし、エアジンなのでしょう、と勝手に理解・納得。
小さなアンプ・マイクセットもまあまあの音をだしてくれます。
最大の敵は5ヶ月持続している化学療法の薬の蓄積による指先の痺れ・むくみ・指先の皮膚が薄くなっていること、すなわち私の個人的事情でした。よろけないように椅子に座ると楽器がふらつき、目ははっきりと開かず、いつのまにか閉まってしまいがち。右手のピッチカートによる皮膚の摩滅・出血の恐れ、体の位置を変えると「1人地震」(自分だけ大きな地震が来たように揺れを感じる)。
それでもなんでも音楽の魅力・魔力に誘われ、掠われ、我を忘れて演奏する時間が多くなりました。神様か悪魔かとの取引でなりたつ音楽。三人は楽器のマシーンになっています。ちょうど打ち上げで梅本さんに誘われ共演した「兵士の物語」(ストラビンスキー)の話が出ました。この話は結局悪魔が音楽をバイオリニストから奪ってしまうのでしたね〜。そのくらいのエネルギー(毒?)がなければ私たちは音楽に一生を捧げることはないのでしょう。毒は薬。抗がん剤の始まりは毒ガス兵器(マスタードガス)からの偶然の転用だったと聞きます。
泰一さんの成長はこのところ目の当たりにして知っていますが、幹雄さんは何年ブランクがあって会わなくても、確実に成長を遂げ、音が純化し、集中度や音楽欲・志がたかくたかくなっていて大変嬉しいです。若者の成長こそ私たちの生きる(吸い取る?)エネルギーなり!すばらし!
1時間のセットを2回十分に楽しみました。
エアジン、助っ人スタッフ、聴衆の皆様、楽器、音楽、人生ありがとうございました。
Gracias a la VIDA!!!!