「だってしようがないじゃない?」ではなくて・・・

DSC00455 DSC_0307 DSC00439 DSC_0046 DSC_0048 かみむら&齋藤Duo CDリリースライブ

いくつか前の投稿にマッピングの重要性を欠きました。自分は今、何処にいて、何をやっているのかを知ることはとても大切です。流れに身を任せている時には、決して分かりません。立ち止まると流れに対する摩擦・抵抗・ノイズが発生し自分の位置が立ち上がってくる。あ〜そうか、こうだったのかと。

勝手に生きているようで、かなりの部分が規定されているのに気づきます。そこから見えてくるものを意識することから様々始まります。今の自分の仕事には必須の条項です。

古い話をします。
気がつくと英語はアメリカ訛りをしゃべり、「ガイジン」をみるとアメリカ人を想定し、アメリカのテレビ番組で豊かな暮らしに憧れ、一方、ほとんどの世界地図は日本が右端にあるのに驚き、テレビ・ラジオでのプロ野球やプロレスは日常、原発も当たり前。

原子力船「むつ」ができた時は、国中で盛り上がっていました。「むつ」のプラモデルが配られ、小学生だって覚えています。怪傑ハリマオがアジアの解放をリードするような主旨のテレビもありました。ドイツの戦車・戦闘機のプラモデルもたくさんありました。ロンメル、メッサーシュミットなどの名前はプラモデルで覚えています。

これって案外特殊なのです。パンとサーカスを与えられ、競争させられ、労働と時間を搾り取られる。ず〜っとそうだった。

首都圏のFM局では、ほとんどアメリカ中心のヒットチャートに溢れ、AM局では毎晩プロ野球を放送。米軍の基地が当たり前のようにあり、FEN(極東放送)でホンモノの英語を初めて聞きました。実は、これって特殊なのです。日本はアメリカの51番目の州なのです、などというキャッチコピーに違和感がなかったことも思い出します。

自らのクオリティオブライフの上昇にかまけ、学歴や高給のみを頼りとして、空気を読み、消費生活をエンジョイしている間に、政治も、マスコミも、司法も、行政も、人も、信心も、愛情も、コトバも、食べ物も、飲み物も、空気も、音楽も信じることが出来なくなり、自殺者が増し、若者にも年寄りにも希望が無くなり、名前の無い単なる「消費者」となって「ウマクヤッテイル」巨大企業・軍需産業に使い捨てされる世の中になってしまった。

自分に言い聞かせるように言う捨て台詞は「だって、しょうがないじゃない?」

そんな中で育った私や泰一さんが「自由」な音楽としてジャズに憧れたことは自然でした。特に黒人解放運動・世界的な学生運動と連携していた時代です。そうでなくても多くの若者があたりまえのように反権力・反体制でした。「フリー・自由」ジャズはさらに色づけされていました。造反有理が言われていた時代です。

世界史の中で言えば、太平洋戦争後のアメリカの覇権、そして、ソ連との競争という特殊な環境の中で現れた事だったのです。共産党は「アカ」と嫌われる雰囲気が残っている一方、小・中学校時代は左翼こそ正しい、というのが先生も含めて「常識」でした。

アメリカ合州国は、冷戦、その後いくつもの戦争を休みなく行っていて、負け続け、さらに地雷や枯葉剤など世界中にばらまいたままです。文化で言うとアメリカ製の音楽・美術・文学・映画・ダンスはもはや勢いはありません。音楽はいち早くそれを表しています。ジャズフェスではジャズ以外の要素がないと成り立ちません。

ジャコ・パストリアスやギル・エバンスが亡くなり、ボブ・マーリーのレゲエ、ピアソラのタンゴ、ジョビン、ミルトン、シコ、カエターノの魅力が増してきて、さらにはサムルノリや金石出、パコ・デ・ルシアのフラメンコ、サリフ・ケイタ、ユッスンドゥールなどアフリカ、メルセデス・ソーサ、ヴィオレータ・パラなどフォルクローレ、などなどの「ワールドミュージック」が人々の心を捉えました。「中南米音楽」と名乗っていた雑誌が「Latina」となり、さらに「世界の音楽」を扱いはじめました。

ドン・チェリーように、フリージャズを経験したジャズミュージシャンが次に着目したのがそれぞれの「民族音楽」でした。同時にヨーロッパではフリージャズと全く違う出自をもつインプロヴィゼーションが勢いを得、あたかもヨーロッパの伝統音楽に連なる勢いを見せました。

ソニー・ロリンズに憧れ、アメリカに渡り、バークリー音大に行き、デューイ・レッドマンに師事した泰一さんが、いつしかフツーのジャズに飽き足らなくなり、インプロやデキシーそしてショーロの演奏をしていること自体が彼の「今・ここ」を表しています。音が先行して指し示してくれていたわけです。

「原爆を産んだ科学自体に罪は無い」という言い方があります。
より効果的にという「純粋」な科学的興味に基づいて懸命に研究した結果が原水爆だったわけです。しかしチェルノブイリやフクシマの事件・事故で明らかなようにこの考え方も破綻しました。

効果・速度・量をもとめることが「当たり前」だと思われて来た結果がこれです。

このことも音楽の現在に当てはまるように思います。もっともっと音量を求めている間に、最もやかましかったドラムセットが、生音ゆえに、1番音量の小さな楽器になってしまい、マルチマイクで集音・増幅せざるを得なくなりました。

効果や速さ、才能を他人との比較で測り、その分が「お金」と名声に結びついてきました。しかし、それに対する「NO」が音楽でも連綿と続いています。

もっともっと、ともかくもっともっと、という考え方へのNOです。「効果」とは「本質」をより伝えるためのものだったはずが、気がつかないうちに「効果」のための「効果」になって、受け取る側も「効果的なもの」を求め、それに応じて供給され市場が潤っています。

泰一さんが古いカタチのテナーサックスに戻っていったり、私がガット弦やフレンチボウに戻っていったのは「効果」を求めて急激に変化していった楽器に対する「ちょっと待ってよ」かもしれません。

頭は騙されても、身体は嘘がつけません。あらゆるヒトがシェアしているのが身体なのです。楽器が嘘をつけないレベルをはるかに超えています。昨今のダンスブームの隠された理由でしょう。私も泰一さんも、ダンサーのジャン・サスポータスさん、矢萩竜太郎さん、庄﨑隆志さんとのセッションを大事にしています。多くの感情、ユーモア、気づきを与え続けてくれています。

随分大げさな言い方になってしまっていますが、泰一・徹の今回のCDにはそういう「いま・ここ」に対する1つの答えが詰まっていると言えるし、言いたいな〜。聴いてみてください。(私の出すCD,ライブは全てそのつもりです。)

ショーロには「だってしようがないじゃない?」になる前の音楽です。今も良質の音楽・歌詞を量産しているブラジルの良き伝統の源です。文化大臣にジルベルト・ジルが複数回選ばれる所以でしょう。即興や泰一オリジナルにも「だってしようがないじゃない?」はありえません。

リリース記念LIVE、明日、明後日。
6月17日(金)明大前キッドアイラックアートホール 19:30開場 20:00開演 前売り・予約 2500円 当日 3000円、 世田谷区松原2-43-11 電話03-3322-5564
6月18日(土)稲毛 Candy 19:30開場 20:00開演 前売り・予約 2500円 当日 3000円、
千葉市稲毛区稲毛東3-10-1 043-246-7726

(8月12日 横濱エアジンでもやります〜)

私も当日午前中まで予約承ります。どうぞご来場のご検討よろしくお願い申し上げます!

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