帰ってきた

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自分がしゃべっていることが他人が言っていることのように聞こえることがあります。
特にこのところそんな感じが続いています。
アイヌ神謡集の中の大好きなフレーズ「耳と耳の間に座っていると」という感じ。
 
バーバー富士での演奏の前にこんなことを言っていました。
「こうやって生還して再び皆さまの前で演奏できることを大変嬉しく思っています」、だって。
 
まさか、自分がこういうことをしゃべるとは思いませんでした。
その分、素直で正直な気持ちなのでしょう。
「そうか、そうでない場合もあったのだな、身体はそれを知っていた」と自分の言葉を聞きながら感じてちょっとゾッとしました。
 
とまれ、私は楽器を持ってここにいます。
 
生き残ってやるべき仕事があるのかどうかは定かではありませんし、使命感のようなものをもってはイケマセン。
「やるべき仕事があるのかもしれない」「役に立てる事があるのかも知れない」程度にして置きましょう。
 
続けられる幸せに嘘はありません。
 
さて演奏です。
 
2ヶ月間、3ヶ国を回り、20回に及ぶ演奏をし、ジョークではなく生死を含んだ様々な経験を共有するということはこういうことなのか、と感じるくらい、演奏のタイミングはピッタリでした。ドンピシャの所にドンピシャとくるので、最高に気持ちいいのだか、合いすぎて気持ち悪いのだか分かりません。「そうそう、それそれだよね、それしかないし」という感じ。
 
そんな第1部を終えて、では、お互いのソロをやってみたらどうかと思い、実施。ピッタリ行っていたデュオの後、なにかしらミッシングするものを感じながらの2つのソロでした。注意深く見れば、きっとそこに次に繋がる何かがあるに違いありません。
 
そして再びデュオ。やっぱりピッタリ、ドンピシャのタイミングの音が続きます。普段望んでもとても得られない素晴らしい演奏です。普段はこういう演奏を目標にやっているとさえ言えます。
 
しかし、言い方を変えれば、そこには何かしら飽和がある。次へ行きたがっている、活きたがっている、行かねばならない音が確実に芽生えているのでしょう。それは、個人を越えている。その音に私たちは「従って」行くしかないのです。
 
私にとって大事なホームグラウンド・バーバー富士で暖かな聴衆と松本さんにこういう姿を観て・聴いてもらえたのはとても嬉しいことでした。それでこそ帰るべきホーム。
 
演奏者も聴衆も希有な体験でした。まさに一期一会だな〜。

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