福山の教会で

1.1 3.1 2.5 4.2 mizoiri

 

四十数年前、少年期に何年か過ごした街での演奏、どこかくすぐったいような感覚です。その頃の福山はそれはそれは豊かな土地でした。海へ行くとサザエやウニがいて、夜になって泳ぐと夜光虫が身体の輪郭を照らしました。ちょっと山の方へ歩くと名も知らぬ幾千の植物・昆虫がいて、夢想の世界に誘いました。(なにしろ山を緑に描くのは木の緑だということさえ知らぬ大馬鹿者でした。)本当に貴重な体験でした。

高校の同級生にコントラバス奏者・作曲家の溝入敬三さんがいて、すでに毎月東京にレッスンに行っていました。私は高校1年夏には東京に戻ってしまい、それから数年後、溝入氏が芸大を出て初リサイタルをしたころ再会し、いろいろな体験を経て何の因果かコントラバスを弾こうと思った私は、彼に楽器のレッスンをお願いしたのです。彼からさまざまな貴重な情報を得て、自分なりのメソッドを構築して今日に至りました。

当時の彼はほとんど日本で唯一人のコントラバス現代音楽に取り組んでいました。クセナキスのテラプス(バリー・ガイが楽譜の序文を書いています)やクラウス・フーバーの初演、同年代の作曲家、吉川和夫・菅野良弘さんらに委嘱。著作もあり、現代音楽の音源、楽譜の購入方法、楽器を海外に運ぶ方法、座奏する椅子の開発などなど唯一人で追求していて私たちがどれだけ恩恵を賜ったか、ありがたく思っています。

アルコール好きな家族同士でよく酒を呑み交わし、エバン・パーカーとバリー・ガイのデュオLPに共に共感して、阿部薫で有名な初台「騒」で、2人でデュオをやったり、アヴィニオン国際コントラバス祭(バール・フィリップスさんが議長でした)に共に出演(吉沢元治さんも)したりしました。ある現代音楽祭でコントラバスカルテットがあり溝入氏主導のもと吉野弘志・徹・笠原さんが参加、3名が広大附属高校出身という偶然も楽しみました。

いつしか連絡が途絶え何年か経つと、彼は地元福山リーデンローズ館長としてすでに8年勤務、ずっと続けて欲しいと嘱望され、作曲家としても多くの委嘱を受け、演奏も続けるという、まさに功成り名を遂げています。かく言う私の人生はロング&ワインディングでした。最近はたてつづけて病を得ましたが、還暦にしてやっと音楽や人生が分かり始めてきました。多くの同輩がリタイヤする頃になってやっと仕事・人生が面白くなりスタート地点に立てた感じです。(遅いね〜、でもこれでいいのだ)

その溝入氏が会場に足を運んでくれました。主催してくれたのがジャズ大衆舎の野田さん。実は過去3回私が参加するライブをやってくれていたのですが、(デュオwith林栄一、トリオwith林栄一・小山彰太、with沢井一恵・久田舜一郎)いずれも私と彼の間に誰かが入っていてその人が取り仕切っていて、私は言われるがまま到着・演奏・さよなら、でした。典型的バンドマン。

今回は違います。ゼロから私から野田氏にお願いして多くの連絡の結果実現しました。還暦にしてやっと分かってきたことの一つです。やはりこうやってLIVEは作らないとイケマセンね。多くの人の努力や熱意が直に伝わります。それは、確実に演奏に影響しますし、一つ一つのコミュニケーションに影響します。野田さんといろいろ連絡を取りながら演目も決まってきました。まさに初めてお会いしたという感覚です。

会場は教会です。音響がすばらしい。到着するや直毅さんはシャコンヌを全曲弾きました。その気持ちわかります。

開演前少し駅のほうへ歩きましたが、案の定、変わりすぎていて天満屋以外なにも思い出しませんでした。しかし、時間が経つにつれて同級生などの顔がふっと浮かんできます。超自意識過剰の私はどんなだったか、とってもこそばゆいです。

占部三龍(尺八)と岡田明子(箏)さまデュオで(詩曲一番 松村禎三作曲)が演奏された後、うたをさがしてトリオ西日本ツアーラスト。

アンゲロプロスものを「目を閉じて」以外全て演奏。「夕影させば」と「ふりかえるまなざし」を加えた編成でした。

うちあげでたまたま隣に座った方が膠原病専門の医師でバイオリンを弾き、私と同じ広大附属福山高校出身、その前に座った医師が皮膚科の南谷洋策さん(ブログではお馴染み、使用写真は彼の撮影)でコントラバスを弾き、私と同じ都立戸山高校出身という偶然もありました。月がきれいな晩でした。

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