もっともっとではなく・・・

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音楽における「効果」とは何?

ヨーロッパへ来て10日、エレクトロニクスとギターのソロLIVEへ行って考えてしまいました。

なんといってもヒトにとって「うた」が古今東西、音楽の中で1番親しまれています。呼吸をし、しゃべるという器官を使った方法のリアリティは大多数のヒトが共有できます。

昨今のダンスブームは、ヒトの身体という「実感」をシェアできるものを題材にしているからでしょう。ダンスの動きは、ツマミを回せば音が変化するようには動くことができません。飛んだり跳ねたり回ったりでも限界だらけです。その限界こそがリアリティを共有でき、さらにダンサーにも聴衆にも想像力の源泉になり発露になるのでしょう。タンゴやフラメンコが音楽とダンスの蜜月関係を続けているのは、楽器が電化せず、ダンサーもひたすらジタバタしながら踊るからと言えないでしょうか?

かたや、ドラムセット、電気ギター、シンセ、イフェクター、コンピューター、PAシステムの発達とともに進んできた音楽は、もはやヒトが制御できない発展をしているように思えます。劇場入り口で耳栓を配るコンサートも増えました。(私は大音量のLIVEに行って突発性難聴になってしまいました。)

既存の音源を使いミックスして音楽を作ったり、ステージに机を並べ、電気スタンドをつけてコンピューターを凝視してツマミを回たりしているLIVEをよく見るようになってずいぶん経ちます。ツマミを回し、イフェクターを踏む、スイッチングこそが音楽制作において大事になっているようです。このような方法はヒトの能力を遙かに越えた「効果」を発揮できます。悪く言えば、コンピューターに、イフェクターに使われているようです。

歪んだ音やノイズの入った音は、もともとは自然素材の中にあるものの偶然の産物であったり、ヒトの工夫であったりしたものだったと思います。良い「楽器」の良い「楽音」をソフィスティケートさせる方向のみの「不満」を解消してくれるものとして重宝されたのでしょう。

より「効果的」に作り上げるのにエレクトロニクスは最適な方法です。いくらでもできます。もはや効果のための効果になっています。それを使いこなせるヒトは稀なのではないでしょうか。いや、居ないのかも知れません。結局使われてしまって、心に空洞を拡げつつ、次回はもっと「効果的」な方法を、と試行錯誤していくしかない。耽溺するキケンを察知したミュージシャンは、エレクトロニクスとアコースティックをハッキリ分けて使い分けをしているようです。

概してこういうミュージシャンは真面目に音楽に取り組んでいる人が多く、広範に音楽を貪るように聴いていてるヒトが多いのも特徴かもしれません。知的なヒトも多い。無限に見える効果へ底知れぬ魅力を感じ、真面目に?耽溺するのも分かるような気がします。

かく言う私も25年前はそう言う状態だったのです。より効果的であることが正しい、とばかりに楽器演奏も疎かにして、ビー玉を投げたり、ブリキ板を長いネジで軋ませたり、あんま機のバイブレーションを弦に押し当てたり、大きな箱2つに様々な飛び道具を用意して、東急ハンズに素材を求めて通っていました。新手で聴衆を驚かせては喜んでいました。心は荒んでいきましたが・・・

幸運なことに韓国シャーマン音楽との出会いで救われました。どんなに効果的で無くてもズンズンと楽器を弾くこと、そのヒトの行為こそに意味あると教わりました。音楽は素材と要素の組み合わせではなく、スケールやリズムすべてには意味があり、ヒトの自由になるものではないのだと。ヒトの身体とココロを解放するものこそが音楽だと教えてくれました。

音楽は音が終わった時に始まる、というのが最近の私の考えです。激しいノイズは終わった後の沈黙をより深くさせます。激しいノイズに耽溺してしまい、それ自体に意味を見いだすと、終わりがありません。そのあたりの機微をコントロールできれば良いのですが、なかなか魅力に勝てないでしょう。一方、自然素材のノイズはヒトがコントロールして終えることができます。

例えば、エレクトロニクスの音楽を作るときにまずループを使って地となる背景の音をつくり繰り返し、そこにどんどんと柄を付け加えていくことが多いようです。もうそこで世界を小さくしています。無音と楽音の対峙であれば地と柄の逆転という「時を止める」こともできますが、地が単純な繰り返しだと現実の時間に従うしか無く、可能性は減るばかり。加算、右肩上がりしかなくなります。今の「経済」と似ています。(経世済民ではなく)。もっともっと!もっともっと!の考えです。

もっともっとと実践する過程で憂さを「忘れさせてくれる」のではなく、「あっ、こんなこともあるんだよね」と「思い出させてくれる」うたとおどりと演奏を実践して行きたいと思うのはそんな理由もあるのかと思います。

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