アサヒアートスクエア終了しました。
表現する人の中には(稀にですが)「あ~、何かがこの人の身体を借りて表現させているのだな~」と感じさせる人がいます。天才肌の人が多いのですが、周りは結構大変です。台風のように全てを巻き込んで膨大なエネルギーを発散したかと思うとあっと言う間に遠くへ行ってしまう。後に残ったのは濃密な時間の記憶、自分の居場所が分からなくなり啞然として笑うしか無い(フツーの)人々。なぜか皆、その場に立ち会えたことを歓び、再び立会人になる機会を待ち望むという目配せをする。膨大なエネルギーはその人の個人的ワガママではなく、作品のためのワガママであることを知るのは少し経ってから。
捕へて見ればその手から小鳥は空へ飛んでゆく。佐藤万絵子さんは紛れもなくその種族の1人です。
私は「これをやらねば生きている意味がない」という気概・気迫を持つように常に心がけるようにしていますが、言葉だけの嘘は通じません。やろうと思って出来るものでもないのかもしれません。向いている方向だけは信じて進みます。
かつてワルシャワでマグダレーナ・アバカノヴィッチさんとコラボレーションをしたとき、彼女が「芸術は本来シャーマニックな仕事なのよ」と言ったのを思い出しました。韓国のシャーマンは、ほとんどが血族・家族で構成されますが、珍島の金大禮(キムデレ)さんは、シャーマン一家の出ではありませんが、ある時からどうしようも無くシャーマンに「成った」と聞きました。その声のスゴいこと。ある時、録音を一緒にしていました。あまり調子がよさそうで無かったのですが、ある瞬間に声が変わりました。「いま、神が降りました」ということでした。「いま、君に詩が来たのか?」というタイトルの高銀さんの詩集を思い出します。
何百回とシュミレーションをしてきたであろう万絵子さんですが、現場に立つと、すべてを投げ出して、身体も感覚も全開にしています。なかなか出来ることではありません。良いところを出そうとしてしまうのが人の常です。その「良い」ところとは「かつての良いところ」であることが多いのです。良かった自分をコピーする愚です。古今東西うまく行った試しはありません。
耳と目と皮膚と鼻と口と頭脳と記憶と未来と総動員。紙が出す音、絵の具のチューブから絵の具が出る音、這いずり回る自らの身体が出す音、すべてが描くドローイングと等価値です。時々私の方を焦点を合わさずに観ています。
こういう状況であれば、ものごとはスムーズに進みます。その場に身を投げ出すだけで良いのです。あらゆることがあらかじめ決められたごとくに進むのです。演奏した曲も、すべての小道具もこの日のためにあったようにすすむのです。
特にがんばったのがハックメオというベトナムの指鈴でした。子供たちとのワークショップ用に大量に持っていたのですが、何回か記憶に残る活躍をしました。
庄﨑隆志・南雲麻衣・ジャンサスポータス・徹のポレポレセッションでは観客と共にハックメオを打ち鳴らしました。ジャンサスポータスwithベースアンサンブル弦311セッションでは10本の指にすべてハックメオを付けたジャンがシャーマンのように踊りました。レ・クアン・ニンとの神戸セッションでは、ニンが注意深く置いたハックメオの間を韓国のダンサー辛恩珠さんは見事に踊りました。
前述のアバカノヴィッチさんとの共演では、ビー玉を大徳寺のお輪にいれてかき混ぜ、巨大なノイズを出しました。(おなじくポーランドの演出家タデウシュ・カントールは「素材は低いほど良いのだ」と言います。洗練され人の手のはいった素材でなく、生に近い素材こそ上手く使えるのです。ビー玉もハックメオもそうです。)
そして、今回、万絵子さんがドローイングしながら鈴を鳴らすところがエンディングとなりました。ベーシストは3人とも演奏を止め、作品の1部となるべく紙の上に寝転びました。周到な打ち合わせをしたかのごとくに照明がだんだんと落ちていきました。全てが即興でした。
緑色に染まったハックメオを一晩、重曹に付けて置いて翌朝たわしで色を落としました。バケツに入れた30個のハックメオはまるで難破船から引き上げられた財宝のようでもあり、貴重な貝のようでもありました。きれいに全部色を落とすことができるのですが、注意深く、ほんの少しずつ色を残して今回の記憶を刻みました。