波無烈斗(ハムレット)公演間近になりました。

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演劇が「社会を映す鏡」(シェイクスピア)

●無言視覚劇●●●●
波 無 烈 斗
h a m l e t
ハ ム レ ッ ト
構成・演出 米内山明宏
振付・演出 庄崎隆志
空間美術 安元亮祐
舞台スタッフ
HITODE・STAGE
美術
スタッフ 酒井 郁
舞台装置 榎本トオル
写真撮影 松田一志
宣伝協力 プラスヴォイス
キャスト
アンディ・バスニック
庄崎隆志
髙橋 愛
齋藤 徹(コントラバス)
田辺和弘(コントラバス)
數見陽子
東 駒子
米田陽一(特別出演)
2015年
7月24日(金)14:00〜 19:00〜
7月25日(土)14:00〜 19:00〜
7月26日(日)14:00〜
TACCS1179劇場
西武新宿線 下落合駅より3分
予約制(前売券ありません)
3000円 当日 4000円
kazenoOuti
e-mail
sho8113sinryu@ybb.ne.jp
fax 045-974-1620
(10:00〜22:00)

 

2012年の真夏に庄﨑隆志さんに偶然のように出会ってから私の人生はより豊かになりました。

今まで書いたブログを8つ抜き出してみました。今も気持ちは変わりません。

是非、ご来場のご検討お願い申し上げます。

 

1:

2012年8月25日(土)中野WIZホールで「牡丹と馬」遠野ものがたり

で音を担当することになりました。(即興的なベースソロになります。)庄崎隆志さんの演出・台本による 風の市プロデュース結成15周年

 

新しい出会いです。数年前、野村喜和夫さんと行ったメキシコシティでの詩祭で現地世話人だった高際さんの紹介です。聴覚障害の人達の集団です。ダンスも美術も演劇もすばらしい。そして笑顔がすばらしい。初めてのミーティングでお会いした後に行った他のリハーサルでボルヘスの朗読をしていたのが高際さんの学会仲間だったという偶然も重なりました。今回の公演はダンス中心のものだそうです。

 

佐藤慶子さんのサインソング公演で聴覚障害の公演をお手伝いをしたことがありました。その時のことはいまも鮮烈に覚えています。マツゲで音を感じるとか、風船を持って感じるとか。聾唖の音響技師がいるとか。彼らのピアノの音については何回か文章でも書きました。また岸田理生さんの「空・ハヌル・ランギット」では、主演のおひとり今野真智子さんに、お願いして歌っていただいた時の衝撃も忘れられません。

 

博多の画廊が紹介してくれた安元亮祐さんの音楽的な絵画は好きで、北松戸や幡ヶ谷のカフェなどいろいろなところで絵を発見したり、ご本人とも不忍画廊でお会いしたり。そしたら安元さんが今回の公演の美術監督だそうで、偶然は重なります。

 

エイブルアートやアールブリュなどと即興や舞踏、韓国の病身舞との関係、ジャン・デュビュッフェの即興演奏のことも時々話題になります。また打楽器奏者エブリン・グレーニーさんとフレッド・フリスの即興、エブリンさんのブラジルサンバカーニバル参加の映像も興味深いものです。

 

アスベスト館の元藤さん、大野一雄さん達とやった「態変」とのワークショップも衝撃でした。態変の機関誌に何回かエッセイを書きました。

 

そして、私自身も数年前に突発性難聴になりました。入院したり、鍼、整体、アゴの治療などさまざまやりましたがまだ治っていません。

 

右耳の低音域が聞こえないというコントラバシストには皮肉な状態が続いています。態変の機関誌の担当の福森さんも亡くなってしまったそうです。福森さんに「程度は軽いですが、私も耳に障害を得ちゃいました。」と言うと「障害は軽い・重いではありませんよ。」と諭されたことが昨日のことのようです。

 

直にリハーサルも始まります。ドイツから帰ってきてすぐの公演ですが、しっかりと気を入れて勤めようと思います。

 

2:

「遠野ものがたり 牡丹と馬」

私が参加してのリハーサル始まりました。彼らはもうずっとやってきています。昨日は、作・演出・出演の庄崎隆志さんが、ひとりですべてをやっていただき、その後、即、私も参加して合わせをしました。

 

かれこれ30年近くダンスと共演していますが、庄崎さんサイコーです。同行した娘も感動していました。信じること・願うこと・あきらめないこと・持続することが、笑顔の裏からひしひしと伝わってきます。

これこそ「表現」です。あれからずっとジーンと来ています。

 

本チラシより

「遠野物語を題材に、結成十五年の風の市が問う、ありのままに、生きること」

 

遠野の里長の娘、牡丹は、馬と育ち遊ぶうち、互いに愛し合うようになりました。長者は激怒し、馬を殺し、皮を剥ぎ、桑の木に張ります。馬を失った娘の嘆きに、馬は蘇り、娘を抱いて”かいこ”となって、天へのぼるのです。

 

恐ろしいもの、薄気味悪いもの、よくわからないものー。私たちの生活に寄り添ってきた異形の神たち。遠野物語には、彼らに対する畏敬があふれています。暗闇から逃れようとすればするほど、私たちの身体はいくつもの鎖に縛られ、沈黙に追い込まれていきます。風の市プロデュースは、ありのままの身体の動きを異形の神たちの舞に託し、我々の身体と感覚の沈黙に闇とざわめきを取り戻します。舞台を見終わった後、あたりまえに、笑い、なき、驚き、怒り、愛し、生きている、この身体が、今までとは少し違ったものに思えるでしょう。

 

キャスト:

庄崎隆志・南雲麻衣・榎本トオル・齋藤徹

演出助手 ヤマシタエリ

舞台監督 榎本トオル

美術監修 安元亮祐

照明オペレーター 牧野英玄・善岡修

制作 ヤマシタエリ

裏方スタッフ HITODE-STAGE

協力 あずま屋寺子屋 蛙の会 上山ホサナ 森下利来彩

写真 渡辺伸

 

3:

チラシの文章から

「演奏活動を続けてきて良かった」風の器との 真夏の初演は鮮烈でした。何が良かったのかうまく分析できないのでそう言うしかありませんでした。滅多にない出会いとはそんなものなのでしょう。「生きていて良かった。」と思ったのです。

演奏活動をはじめたころ、野口体操で有名な野口三千三さんの「からだに貞く」「おもさに貞く」と言う本に影響を受けました。「貞く」を「きく」と読みます。思えば、香もきく、酒もきく、融通もきくですね。もうひとり影響を受けた漢字研究の泰斗・白川静さんによると「音」は神に対する問いかけで、その答えは器に入れた水がかすかに動くかどうかだそうです。嘘をつくと入墨用の針で刺されます。夜中にじっと答えを「待つ」のです。「暗い」も「闇」も「音」が入っていますね。音は目で聴く神の答えなのです。「聴く」「待つ」「信じる」など私が音に関わってきた動機に直接かかわってくることを風の器は思い出させてくれます。彼らとセッションを続けていくことは「発見」であり「教え」であり「きっかけ」なのです。続けなければなりません。(齋藤徹)

この夏の初共演でのあの感覚は何だったのだろう?と思います。感情の大きな揺さぶりとは、大きな質問の発見なのかもしれません。こんな大きな質問にはそう簡単には答えは見つかるはずもありません。

「しゃべる」こととは自分の喉を通過して出てくる声を「聴くこと」だ、という考え方が好きです。どだい自分の感情をすべて所有できるものではありません。多くの感情の中から都合の良い感情を抜き出して「自分の感情」と名づけているだけとも考えられます。選ばれなかった感情はどこへ行くのでしょう?

自分の喉を通過して出てくる声の中から聴き逃した声はどこへ行くのでしょう?

自分の声も感情も好みも所有できないものだとすると、選ばれなかった声・感情・好みの行く先が「表現」になる、と考えられます。太田省吾さんが「喜怒哀楽は表現では無い」と言ったことに近い考え方でしょう。

「風の器」の俳優・ダンサーとのコミュニケーションとは、聴こえなかった、あるいは聴き逃した音・声でコミュニケートすることと捉えられるかも知れません。私の身体や楽器を通して出てきていても聴き逃している音達、あるいは出てくることが出来なかった音達。

通常の人々が言葉でコミュニケーションを取っている、ように見えることでも、どれだけ通じているものか、言いたいことが言えているものか、言いたいことは何だったのか?通じるとは何なのだ?楽器を演奏するとは何なのだ?そんな大きな質問が私をつき動かします。彼らにぶつかっていきます。

本日もミッチリとリハーサルをやりました。私はなるべくソロを取るダンサーの近くで演奏します。ダンサー達から見える位置で演奏します。今日のリハでの発見もいくつもありました。ピアニシモとフォルテシモは同じ役割なのだ、大きさの記号ではなく、表情記号であり、その質量は同じくらい大きいと日頃から思っています。今日の収穫はその先が見えたことです。ピアニシモどころでは無く「無音・沈黙」のざわめきの大きさ、音を出さない行為、演奏できない状態での演奏、などを試みました。

まだまだリハは続きます。熱い冬です。

徹の部屋Vol.23 「牡丹と馬 遠野ものがたり」

■日時:2012年12月24日(月・祝)13:30 open/14:00 start

18:30 open/19:00 start 昼夜2回公演

■出演:庄崎隆志、南雲麻衣、斎藤徹、

美術:安元亮祐

■料金:予約3,500円/当日4,000円(ワンドリンク付)

■予約:03-3227-1405(ポレポレタイムス社)Email : event@polepoletimes.jp

 

 

4:

Double the double bass in Japan 2014 第11回目

スーパーデラックスでの9名のコントラバス奏者、2名のダンサーの会でした。今回のツアーの中で最大の人数です。取り仕切ることなどは初めから無理ですので、個人個人に大きくお任せ。そういうセッションであることを分かってもらえていると勝手に思っています。とりわけ瀬尾高志・田嶋真佐雄・田辺和弘さんが昨年まで活動したベースアンサンブル弦311のメンバーであったことが、大いに大いに助かりました。共有や蓄積がいろいろな面で大きく機能していました。

そして、矢萩竜太郎10番勝負!公開リハーサルでの経験がこの三人の可能性をさらに大きく拡げていたことが分かり、大変嬉しかったです。彼らは音楽性のみでなく、「即興性」「演劇性」を良い意味で獲得していました。演奏家はどうしても音楽にのみ集中してしまいます。(それが本来ですけど・・)しかし、ダンスや美術と一緒にやる、他のジャンルの音楽と一緒にやるときは、大きく空間を捉え、今自分がどこにいて、何をやっているのか、何が目的なのか、などなどの優先順位を即座にそして的確につかまねばなりません。しかも、時間つぶしの「遊び」や、バカ騒ぎではなく、ありうるための諸条件をクリアしていなければなりません。

矢萩竜太郎10番勝負!公開リハーサルで庄﨑隆志さんも高橋愛さんも参加してくれていましたし、私と庄﨑さんの演劇を観てくれていたことも役に立ったことと思います。セバスチャンもブッパタールで竜太郎10番勝負!に参加、ケルンでの十番勝負!には客席に居てくれました。何をやるにしても時間をかけて、経験を堆積して、有機的に繋げていくことこそが大事なのでしょう。

庄﨑さん・高橋さんが聾であることを、普通はあまり言わないことにしていますが、今回は多少告知をしました。「聾」というコトバを彼らが誇りを持って使っていることさえ、あまり知られていない状況です。(私も知りませんでした。)最後に山下惠里さんが手話通訳をしてくれたのを見て初めてそのことに気がついた聴衆もいらっしゃいました。第一部最後の音と動き(笠が落ちる)のシンクロなどは聞こえる人がやっても至難なことですが、バッチリ決まりました。人間の可能性を感じると共に、聞こえる、とは何か?を考えざるを得ません。

冷たい雨の中、たくさんの聴衆がいらっしゃり、スーパーデラックスのマイクさんもスタッフも大変よくしてくださり、わたしにとってプレッシャーの大きかった会が無事に終了することが出来ました。ありがとうございました!もちろん参加してくれたベーシスト、ダンサーには最大の感謝を捧げます。

 

 

 

5:

庄﨑隆志さんはすばらしい演出家・役者・ダンサー・画家です。メキシコシティでの現代詩祭の縁でお会いした高際裕哉さんのツテで「風の器」との共演「牡丹と馬・おしらさまものがたり」がきっかけでした。(写真中のボツフライヤの馬の絵は彼のデッサンです)

馬になるために宮崎に一週間行って馬を観察してきたばかりという庄﨑さん。その他には南雲麻衣さんと榎本さんそして私だけの舞台でした。聾の世界に初めて触れ、どうやって接して良いものか全く分かりませんでしたが、全力でぶつかっていくといういつもの我流でまたとない出会いになりました。音楽を続けてきてよかった!とこころより思いました。

音楽家と聾がコミュニケートできるなんてなかなか信じることができませんが、「できる!」のです。聞こえるひととよりも深く出来るときもしょっちゅうです。そこには「ミラーニューロン」の作用もあるでしょう。(ミラーニューロンとミーム、この2つにはとても興味があります。演奏・パフォーミングアーツにとって大変重要です。)

そういう理論を持ち出さずとも、「人が生きていて」「そこにいて」強烈に「思いをぶつけていて」狂おしいほど「信じている」そして「求めている」「待っている」。その状況に対して素直に・全力で答えていけばいいのです。コミュニケーションの基本です、人と人の関係のベースです。聞こえていてもまったく通じない人なんてざらにいます。

聞こえない人をなんて呼ぶのか、聴覚障害、障がい、耳の不自由な人、聾、それさえ知りませんでした。(聾、ということばに誇りを持っているそうです。タツノオトシゴは耳は無く聞こえないけれど、海の中では耳以外の感覚で「聴く」ことができる)。

もっともっと知らせたいと思い「牡丹と馬」をホーム、ポレポレ坐で再演、次には、当然の成り行きのようにジャン・サスポータスさんとの共演(ポレポレ坐・キッドアイラックホール)、ジャンさんとの共演では全くの即興でした。(南雲麻衣・貴田みどりさんも参加)聴衆の中には彼らが聾であることに気付かない人も多かったです。

そして米内山さん演出によるアントナン・アルトー(アルトー役が庄﨑さん)もので矢萩竜太郎クンも出演。昨年10月のセバスチャン・グラムスとのDouble the double bassツアーの中ではスーパーデラックスで8名のコントラバスと庄﨑さん・高橋愛さんと共演。あまりのシンクロに私自身ビックリしました。もはや聞こえる・聞こえないなんて超えていました。庄﨑さんは竜太郎さんのことを大変好きです。素晴らしい交流があるのです。竜太郎10番勝負!にも参加してくれました。

4月にはNHK教育テレビ「みんなの手話」で庄﨑さんと2本コントをやっているのが放映されます。5月18日にはドイツ文化会館ホールでのジャン、ウテ、ヴォルフガング、竜太郎、徹、庄﨑というセッションも企画されています。繋がりが大いに育つことを願ってやみません。

映画「ゆずり葉」での主演では大きな反響を呼んだ本格派の俳優です。2010年横浜文化賞・文化芸術奨励賞、しかも横浜市在住という横濱ゆかりの人でもあります。

 

 

 

6:

昨夜舞台設定および客席配置をほぼ済ませていて、ポレポレ坐が劇場に変容しています。空気をそのまま残しているので作業はスムーズに持続していきます。それぞれのチェックを済ませ、10:30より通し。セーブしてやりましょう、と言いながら結局本気でやってしまうことは想定内です。はい。私は即興的なことをいろいろ試しました。それに対して庄﨑さんも南雲さんもよろこんで反応してくれます。ともかく彼らとの作業は、常に暖かな空気に包まれています。こういう表現の場でありがちな自己主張ゆえの殺伐としたことは起こりません。そんな甘ったれたことはとうに越えています。ありきたりな「成功」、平均点的な公演などは眼中にありません。客席に「受けよう」などとはつゆほど思っていません。演者と聴衆のとんでもない発見と飛翔を真剣に求めています。正にイノチガケです。

8月の初演の前、庄﨑さんは馬を観察するために宮崎の都井岬に出向き一週間観察してきています。たった1日の公演のためにあらゆる努力をしてきています。聞けば、はげしい稽古の半年で10㎏自然に減量したそうです。私はそういう作業を長い間忘れてしまっているなと気づかせてくれます。自分の仕事以外はほとんどやっていませんが、時間に余裕のある生活とは言えません。あっちに行ったりこっちに行ったりしては忙しぶっているのかもしれません。若い頃は一つの仕事に今の何倍ものエネルギーや時間を投入していた気がします。「なんのためにこの仕事をしているのか?」即ち「何のために生きているのか?」

夏のヴィデオを観て、嬉しくて演奏しすぎていた自分を反省し、今回は、しばし音を止めたり、当然盛り上がりそうなところで盛り上がらないようにしたり、「なぞり」や「説明」になりそうな所をできるだけ排除してみました。彼らの耳になることを目指しました。

エヴリン・グレーニー(聞こえない打楽器奏者)のブラジルサンバカーニバルのドキュメント「エヴリンインリオ」、「タッチ・ザ・サウンド」、フランスのドキュメント「音のない世界で」聴覚障害を得た人気DJの実話「フランキーワイルドのすばらしい世界」なども見直しました。エッチオ・バッソというイタリアのコントラバス奏者が音楽を担当している「ミルコの光」も見直し。これは視覚障害を持った子供が著名な映画の効果音技師になる実話。エッチオが音楽を担当している「ぼくは怖くない」も秀作です。彼のピアソラ作品集ではピアノにグスタボ・ベイテルマンを起用し、ピアソラパリ時代の曲を集めているので大変好感を持ちました。(ピアソラ作品集を出しているコントラバス奏者は私と彼だけ?かもしれません。)ボッテシーニ曲集ではさすがに同国人の共鳴を感じる好演です。おっと、話が逸れました。

数年前、オークランドのミルスカレッジの即興コースで授業をしたとき、担当教授がフレッド・フリスさんでした。彼は身内に聴覚障害の人がいるので、興味を持ってエヴリンと関係ができて、タッチザサウンドで即興セッションをしたんだ、と言っていました。前知識無く、あの映画の即興シーンを観て、エヴリンが聴覚障害だと気づく人はいないでしょう。今回の公演も同じことが言えるのでは無いでしょうか?

 

 

 

7:

今回のジャンさんツアーで、初共演になるのは24日のポレポレ坐徹の部屋vol.24。風の器の庄﨑隆志・南雲麻衣さんとのセッションです。先日お二人と新年会をやりました。会うときはいつもリハーサルか本番なので、ゆっくり話をすることがなかったので貴重な時間でした。

たとえば、彼らとつきあう時の基本中の基本、「聾唖者」「聾者」「聴覚障害者」の違いを私はよく分かっていませんでした。「聾」という言葉を誇りを持って使っていること、文化として捉えているということを初めて知りました。聴覚「障害」という言葉は使いたくない、という当たり前のことさえ気がついていなかった自分を恥じました。ちなみに「聾」はタツノオトシゴから来ているそうです。そういえば、龍が入っていますよね。

庄﨑さんの「過剰さ」は表現者としての業のようなもので、並・普通のものでは全く満足できないのでしょう。私の知人がこの前のポレポレを観て、アントナン・アルトーをやってもらいたい、と感想を言っていたことをつたえると、彼もずっとやりたかった、ということ。どこにも収まりきらない「過激」な人です。

南雲さんは、いろいろな人間関係を繋ぐ役をしていることもわかってきました。明るい性格からごく自然に人と人を繋げてしまうようです。この前、ブログで紹介した日本画家・中村正義さんのお孫さんとは大変親しいこと、今度私がご一緒するジャワ舞踊の佐草さんとの関係もあったり、私のベースの生徒さんと顔見知りだったり、私の回りだけでも曼荼羅のように繋がっています。

ジャンさんとの出会いから必ずやさらに大きな輪がひろがるでしょうし、庄﨑さんの過剰さの一部はどこかに収まり場所を見つけるかも知れません。

当日は即興を中心に構成しますが、事前に2回、リハーサルということで集まります。実は、すべて本番ですね。人生と同じです。

チラシの情報

徹の部屋Vol.24 「聴くこと・待つこと・信じること」

■日時:2013年2月24日(日)18:30open/19:00start
■出演:ジャン・サスポータス(ダンス)、庄﨑隆志(ダンス)、南雲麻衣(ダンス)、斎藤徹(コントラバス)
■料金:予約3,500円/当日4,000円(ワンドリンク付)
■予約:03-3227-1405(ポレポレタイムス社)Email : event@polepoletimes.jp
■協力:EU-Japanフェスト日本委員会

゜゜゜゜゜゜゜゜゜
音に合わせるのは大変だろうとお客さんは思うでしょうが、そうなってみると、さほどではないのです。
まったく聾(右耳110デジベル・左耳110デジベル)である僕のミミには、雑音はまったく聞こえません。
けれども、徹さんの振動は聴きとれます。僕のカラダの中に起こる内側の音を聴くこともできます。
僕らが出番をひそかに待つあいだ、弦を弾く徹さんの指先の動きが手毬の様にメロディを紡ぎます。
それはやがて、溢れるようなカラダの動きに変化していきます。
カラダを通して魂を表現していくのです。魂は時には胎児になったり、大魔界に入ってしまったりする。
心臓とその他の内臓が火山になって、血の流れを、三途の川にしてしまう。
僕はそうしたなかで、忘れていたこと、自分の人生のなかでとても大切だったことを思い出したりするのです。ふとした気付きや別の記憶にも繋がっていき、思わず表現してしまうのです。
即興をして、さりげなくわかったような気がします。僕はそんなスタイルが好きです。
雑音が聞こえたとすると気持ちが乱れていたかもしれない。カラダの働きは自然の働きと密接につながっています。カラダと音楽とポレポレと、、、さまざまなものが自然のうちにつながっているのだと思うようになりました。言葉にとらわれないで自由になると、心は即興へ導かれる。遠いはずの二つの世界もどこか似ているような確信して演じていく。「聴くこと」「待つこと」「信じること」の大切さを実感しています。だからドラマチックな「はじまること」はありません。もっともっと好奇心を刺激するステージをしていきたい。様々な魂たちが、何を巻き起こすでしょうか。(庄﨑隆志)

゜゜゜゜゜゜゜゜゜

ポレポレ坐シリーズ「徹の部屋」は5年目に入りました。私の最も大事な仕事になっています。初期は様々なゲストを迎えていましたが、だんだんと「その時大事なもの」をやる、というようになり、さらにゲストが有機的に繋がり始めています。今回はその典型。昨年夏に初共演した「風の器」(庄﨑隆志・南雲麻衣さん)と半年後ここで再演(牡丹と馬)。ジャンさんとポレポレは「ミモザの舟に乗って」「ベースの森の中で」(Skype出演!)「うたをさがして」と続いています。今回はこの両者の出会いです。昨今、「出会い」とか「初共演」という言葉がイヤミに感じられる程、都合良く使われていますが、
これは本来の出会い・初共演でしょう。それぞれの長い経験や狂おしい希望が、あるとき(今日)・ある場所で(ポレポレ坐で)「出会う」のは偶然ではありません。引き合わせる私も同じです。そして、焦ってはダメです。ポレポレ坐の原点(ポレポレとは、ゆっくりゆっくりというスワヒリ語)に照らしたいと思います。「聴くこと」は「待つこと」であり「信じること」というのは長年の私のテーマです。
このセッションでその断片が見える予感がしています。(齋藤徹)

゜゜゜゜゜゜゜゜゜

★ジャン・ローレン・サスポータス(ダンス)
カサブランカ生まれ。マルセイユで数学・物理・哲学を学ぶ。
’75年パリでモダンダンスを始め、’79年ピナ・バウシュ舞踊団のソロ・ダンサーとなる。
世界中の劇場で踊り続け、ピナの代表作「カフェ・ミュラー」は以来30年間300回を超える。
ペドロ・アルモドバル監督「トークトゥーハー」(アカデミー脚本賞)の冒頭で使われ、
「世界で一番哀しい顔の男」と評される。
現在は自らのダンスグループ「カフェ・アダダンスシアター」を結成、俳優、オペラ演出、
振付家、ワークショップなどで活躍している。合気道から派生した「気の道」をマスター。
日本文化全般に造詣が深い。

★庄﨑隆志(演出家・役者)
Office風の器主催。コトバや性別、年齢、国境を越えて楽しめることをモットーとし、
無言劇、日本舞踊、神楽、京劇など、様々な手法を用いて、視覚的コミュニケーションを追求した舞台や舞踊を創り出している。『Rasyomon』『白痴の空歌』『雨月』『UKIYOE』『オルフェウス』など数々の舞台の演出を手掛け、日本では、シアターX提携公演、横浜赤レンガ、ランドマークタワー、世田谷パブリック劇場を代表とした全国各地750箇所2000ステージ、海外では、欧米、アジアの14箇国で公演を行った実績を持つ。1983年第8回国際デフ・パントマイムフェスティバル審査員賞ジュリー賞(チェコスロバキア)、1991年国際アビリンピック舞台芸術部門銀賞最高アイデア賞(香港)2010年横浜文化賞・文化芸術奨励賞受賞。

★南雲麻衣(ダンス)
1989年8月2日生まれ。聾者。5歳からモダンダンスを始める。和光大学で創作ダンスに出会い、魅了されていく。現在は風の市プロデュース劇団員、劇団しゅわえもん(東京)スタッフ、ダンサー。
風の市『アリランの蛍』、『手の詩 賢治の詩』コンテンポラリー『牡丹と馬』出演。
劇団しゅわえもん『あらしのよるに』主役、風の市『五輪書のぼうけん』主役。
今後はさまざまなパフォーマンスにチャレンジし、表現者として新境地を開拓していく。
趣味はカフェめぐりと舞台鑑賞。

★齋藤徹(コントラバス)
舞踊・演劇・美術・映像・詩・書・邦楽・雅楽・能楽・西洋クラシック音楽・
現代音楽・タンゴ・ジャズ・ヨーロッパ即興・韓国の文化・アジアのシャーマニズムなど
様々なジャンルと積極的に交流。ヨーロッパ、アジア、南北アメリカで演奏・CD制作。
コントラバスの国際フェスティバルにも数多く参加。
コントラバス音楽のための作曲・演奏・ワークショップを行う。
自主レーベルTravessia主

 

 

 

7:

ユーラシアンエコーズ第2章でもすばらしいダンスをしたジャン・サスポータスさんが8月最終週に3つの公演と2回の「ジャンさん体操+気の道入門ワークショップ」があります。その紹介を一つずつしていきます。

出演: 庄﨑隆志(ダンス) 貴田みどり(ダンス) ジャン・サスポータス(ダンス) 齋藤徹(音)

聴こえ~或る~無い~侘しさ

日時:8月28日(水)19:00open/19:30start

会場:キッドアイラックアートホール (東京都世田谷区松原2-43-11) http://www.kidailack.co.jp/

料金:予約3,000円(学生2,500円)/当日3,500円(学生3,000円)

予約:Tel:03-3322-5564  Mail:arthall@kidailack.co.jp(キッドアイラック)

ちょうど1年前の8月末のこと。庄﨑隆志さんと南雲麻衣さんと初共演をしました。海外の仕事が立て込んでいた時期でしたが、one of 仕事ではなく、「こういう日のために私は演奏を続けてきたのだ!」という衝撃だったのです。

私自身が7年前から右耳の突発性難聴を患っていますので、耳のことに関しては人一倍敏感になっています。安元亮祐さん、松本俊介さんの美術はいつも目と耳と心にズシンと来ていましたし、佐村河内守さんの本やCDはビックリしていました。しかし、聾のダンサーからの突然のオファーに、一体私に何が出来るだろう、と思いつつ第1回目のリハーサルに出かけました。そこで起こったことは一生忘れません。

以前「盲」のダンサーと共演したことがあり、ダウン症のダンサーとはレギュラーな関係を持っています。彼らとは「音」で伝えることが出来ます。しかし、リハーサル前は、「聾」の人と何が出来るのだろうという問いから一歩も進むことはできませんでした。また、彼らのことを何と呼ぶのか「聴覚障害者」?「聾唖者」?それさえ知りませんでした。(「聾」という言葉が良いと庄﨑さんに教えていただきました。誇りを持って使っているということです。タツノオトシゴは目・鼻は優れているけれど、耳は退化して聞こえなくなっているということから龍には耳が無いという伝説です。)

果たして共演出来るのか?ドキドキドキドキ。しかし、その答えは「できる!」しかも時には健常者よりも深くできるのです。同行した娘と帰りの車の中で「凄い体験をしてしまった。」と興奮して話し合ったのを今でもハッキリ覚えています。その公演自体、「聾」だからと言うバイアスは一切ありませんでした。チラシにもそのことは一切触れていません。普段のコミュニケーションでさえ手話通訳無しの方が伝わったりもするのです。いったい「聞く」「聴く」とは何?

「ミラーニューロン」の説は好きで、ダンサー、美術家、音楽家、役者にかかわらず、私は、演奏中かならず薄目を開けて共演者を観ることにしています。観ることによって私のミラーニューロンが活動し私自身が踊り、描き、その楽器を演奏し、演じているわけです。目を閉じては大「損」です。

その効果もあると思いますし、コントラバスの低音は床から振動が伝わる、とも聞きました。「まつげ」で感じることもあるそうです。ともかく何かがキッチリと通じるのです。言葉での会話で、実際は本意が通じていないことは日常的によく起こります。同じものを見ても、違う部分を見ていたりすることも良く起こります。

1回目の共演時、カーテンコールの時、私は「やった!やった!」と興奮状態でした。しかしお辞儀をしても拍手がパラパラしかありません。「しくじったか・・・・」と落胆して目を上げると手話での万雷の拍手(両手を花のようなカタチにして回す仕草)でした。あの光景は忘れることが出来ません。

出会った人と人、場所と場所、時と時を繋げることが私のライフワークです。彼らを誰と繋げよう?それは、もちろん、今、一番の共演相手ジャン・サスポータスでしょう、ということで、ポレポレ坐で真冬にセッションを持ちました。想定を遙かに越える舞台が現出しました。多くの聴衆が「なぜだかわからないけど」泣けて泣けてしかたなかったと言います。スタンディングオベーションを受けました。

これはもう続けるしかありません。続けなければ罪です。現在、日本での私の数少ない大事な「ホーム」であるキッドアイラックアートホールで今回公演をするのは当然の成り行きです。

是非ご参加下さいますようご検討下さいませ。                   齋藤徹

 

 

8:

人は親を選べないように、生まれてくる時代・国を選ぶことはできません。選べないどころか、自分の身体は両親や更に遡ったDNAに十分に支配され、生きている時代・国の法律や風習に支配されてしまいます。あんな親の元に生まれたかっただの、こんな時代に生きたかったのだのは不可能です。

 

しかし「だってにんげんだもの」とか「だってしかたないじゃない」とは簡単に言いたくありません。

 

そんなニンゲンたちが画を描いたり、音楽をやったり、踊ったり、詩を書いたり、映画を撮ったりするのでしょうか。

 

かといって、思いのままに画を描き、音楽を演奏したり、踊ったり、詩を書いたりできるのもでは有りません。数多くの罠が張り巡らされています。

 

まず、自分のやることにとっての「見本」「かみさま」を作ってはイケマセン。それは「権力」にしかなりません。自分の技を型にはめ、まだまだだと思い込まされ、手なずける装置にしかなりません。また、自分に耽溺してはイケマセン。出来が良くても悪くても耽溺するのは楽だし、居心地が良いのです。ああ危ない危ない。

 

そんなことを感じた「還ってくるアルトー」4公演でした。聾に生まれた人達、ダウン症の人との共演でした。彼らは選んで生まれてきたのではありません。庄﨑さん・貴田さん・竜太郎さんとの「即興」は本当に刺激的でした。30年もこういう世界に居ますが、立て続けに複数公演がある時の「即興」は良かったときのコピーに陥るキケン、そのコピーを避けようという縛り、に悩まされることがほとんどですが、この3名はそういうことがありません。これは特大筆すべき事です。

 

貴田さんは、8月末のジャンとのセッションが生涯初の即興でした。3歳から厳しいクラシックバレーをやっているそうです。彼女の身体・立ち居振る舞いがそれを十分に表しています。そんな彼女が真のインプロバイザーなのです。ジャンルや経験ではありません。

 

表現に対する覚悟が違うのでしょう。竜太郎さんはアルトーのことなど知りませんし生涯知ることは無いでしょう。「器官なき身体」を表していようがいまいが、圧倒的な「今・ここ・私」の無垢を表していてあの場の人達すべてに伝わっていました。ことのほか聾者の間で評判が良かったのは何か理由があるのでしょう。

 

 

 

私は謂わば「祭り」の後に生まれてきた世代です。ちょっと上の団塊の世代が祭りの大騒ぎをしていて世の中の盛り上がりと共にサブカルチャーの世界に何人ものカリスマを生み出しました。土方巽・寺山修司・高柳昌行・富樫雅彦などなど。私は自ら選んだわけでないのにそれらの人々、そして残された人達と多くの仕事をしました。残された人達は必ず彼らの話しをし、どんなに凄かったかを話しました。初めのうちはそれを聞くのは面白く、規格を越えた大きさに驚きもしました。しかし会う度にそういう話を聞くのは、だんだんと辛くなってきました。「じゃ、お前は誰なんだ?」

 

私の下の世代は「新人類」と呼ばれていました。彼らには私の上の世代に繋がるルートを持ちません。反体制を叫んでいた団塊の世代は体制の真ん中にいます。

 

そんな世代論を簡単に吹っ飛ばす即興を聾者とダウン症の彼らに見せつけられました。長年見続けていた安元亮祐さんと一緒に仕事ができたことも嬉しかったです。米内山さんというカリスマが今度どういう風に話され、伝わっていくのか興味があります。

 

お疲れさまでした。ありがとうございました。

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