詩は翻訳できない、とよく言われます。
ツェランのテネブレに引っかかっている日々ですが、3つの和訳があり、ニュアンスがまるでちがう。
たとえば冒頭
生野幸吉 訳だと
わたしたちは近くにいる、主よ、
間近く、そして手でつかめるほどに。
すでにつかまれてしまっているのだ、主よ、
たがいに爪を食い入らせ、あたかも
わたしたちひとりびとりの肉が
あなたの肉であるかのように、主よ。
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中村朝子 訳だと
近くにいます 私たちは、主よ
近くに そし摑まえられるほどに
もうすでに摑まえられています、主よ
互いにしがみついて、まるで
私たちのうちのどの身体も
あなたの身体であるかのように、主よ
飯吉光夫 訳 だと
わたしたちは近づいています、主よ、
つかむことができるほどまぢかに。
すでにつかみました、主よ、
それぞれのからだが
あなたのからだででもあるかのように、主よ。
英訳
Near, we are , Lord,
near and within reach.
Grasped already, Lord,
clawed each other as though
the body of each of us were
your body, Lord.
原語(ドイツ語)
Nah sind wir, Herr,
nahe und greifbar.
Gegriffen schon, Herr,
ineinander verkrallt, als wär
der Leib eines jeden von uns
dein Leib, Herr.
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最も印象的な文言のところは:
生野訳
祈れ、主よ、
わたしたちに向かって祈れ、
わたしたちは近くにいる。
中村訳
祈りなさい、主よ
私たちに向かって祈りなさい。
私たちは近くにいます
飯吉訳
祈りなさい、主よ、
わたしたちにむかって、
わたしたちは近づいています。
英訳
Pray, Lord,
pray to us,
we are near by.
原語
Bete, Herr,
bete zu uns,
wir sind nah.
じゅんこさんが見つけてきたツェラン自身の朗読は
死のフーガなどもありました。
アスベスト館とマグダレーナ・アバカノヴィッチのコラボレーションでワルシャワに行ったことがあります。帰途にタデウシュ・カントールのクリコット2のスタジオ(クラカウ)に行き、元藤さんとアウシュビッツ・ビルケナウへ行きました。忘れがたい記憶です。この詩は、必ずそのことを思い出させます。
ツェランの詩に音楽を付けたので有名なのはマイケル・ナイマン作曲、ウテ・レンパー歌です。
に、ギャラリー椿でやった「コロナ」がありました。
ドイツ語がわかればな〜。
このツェランの顔ってジャンさんに似ている気がして、そう言ったら、そうかい?と言っていました。
果たして12月24日ポレポレ坐でこの詩と一緒にいることができるでしょうか?
徹の部屋vol.34
今日は私の日:さとうじゅんこ編
⚫︎日時:2014年12月24日(水)19:30スタート
⚫︎出演:うたをさがしてトリオ
齋藤徹、喜多直毅、さとうじゅんこ
⚫︎ゲスト:熊坂路得子、矢萩竜太郎
⚫︎スペイン語協力:高際裕哉
⚫︎会場:ポレポレ坐(東中野)
⚫︎料金:予約3,000円、当日3,500円(ワンドリンク付き)
⚫︎ご予約:ポレポレタイムス社03-3227-1405
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