鈴木昭男さんとのデュオ@スーパーデラックス

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心が大きく揺れ、喜こぶ日々が続いています。(チョットチカレタけど)

 

ジャンさんワークショップ@「いずるば」では、様々な人達が集ってきます。タンゴダンサー、フラメンコダンサー、女優、バンドネオンプレーヤー、舞踏ダンサー、などなど(今の日本を象徴するように女性率は9割を越えます。)

 

2012年3月11日、1周年としてブッパタール・カフェアダで「Looking for KENJI」で共演した皆藤千香子さん(ドイツ在住ダンサーもたまたま帰省中)、喜多直毅さんも参加。そういえば、南貞鎬(韓国モダンダンサー)と20年ぶりに再会し、韓国との関係が始まったのも彼女がたまたま気の道ワークショップに参加したからでした。

 

「いずるば」が本当に「出る場」になっています。じっくり観察すると今回の関係からもなにかが生まれているのでしょう。

 

WS最終日、私は欠席してスーパーデラックスでのLIVEに参加しました。鈴木昭男さんとのデュオをスーデラのマイクさんがセットしてくれました。マイクさんの耳と目の感度は最高・最良と思っています。私もお呼ばれしたシドニー・ビエンナーレでの日本人ミュージシャンを特集した企画は年間企画賞を取ったそうです。

 

歳を取ったせいでしょう、年々、自分より大きな人と共演するということが、少なくなって行きます。(拮抗するだけでも貴重。)昭男さんはまさにそういう大きな人です。喜び勇んで向かいました。

 

折からの台風の影響で丹後半島に住む昭男さんは上京するのに難渋。サウンドチェックが午後用意されていましたが、直前にキャンセル、携帯電話などという下品なものを持たない昭男さんとの連絡も難儀。公衆電話から、奥様のところへ電話がかかり、そこからマイクさんの所にという手順。(そんなこと昔は当たり前でしたね。)開場しても現れません。他に3組の出演があり、私たちは最後だったので、ラッキー。2つ目が始まって、楽屋に現れたそうです。(私は会場内にいました)。ゴム長靴にamazonの段ボールを抱えての出で立ち。引退した好々爺のようですが、世界中の美術館やフェスティバル、公園設計で引っ張りだこのアーティスト、大英博物館での展示・公演もあります。(生まれ育ちの話、パートナーとの話、病気の話など面白くてしかたありませんが、余りに個人的なことなので書くことは止めます。ともかくスケールが違います。)

 

PAが先週のRhhr…+直毅+徹の時と同じ市村隼人さんだったので、ぶっつけ本番も安心してお任せでした。本当にありがたや~!またまたラッキーです。割り当てられた45分間、嬉々として「あそび」ました。身体もココロも大喜び。砂漠に水が染みこむような時間でした。即興だの、最先端だの、良い音だの、良い音楽だの、うまいだの、ヘタだの、切った貼ったの共演から最も遠い世界です。なにしろ「音楽」からも遠いのでしょうから・・・そりゃ、おおさわぎです。やんごとなき人の「あすび」に混ぜてもらった感じでした。

 

クオリティが高いというのとも次元が違うのですが、やっている方も聴いている方もおわった後、ほっこりと笑顔になります。昭男さんの真骨頂。もはや、楽器にも囚われていません。自作の箱のようなもの、鏡、笛というか筒、アナラポス(自作の有名な音具、命名の由来が傑作)が一番楽器に近いわけです。最近、GNP(国民総生産)とGNH(国民総幸せ度)の話を書きましたが、それと似ている気がします。音楽としての質ではなく、人間としての質。

 

思い起こすのは、ポーランドの演劇家・美術家タデウシュ・カントール。「素材の等級が低ければ低いほど良いのだ」と言います。ジャン・デュビュッフェも素材に拘りました。キーファーもそうでしょう。素材が生に近いこと、そこに拘りをもつことはある特定の人に矛盾無く両立し、唯一無二の世界を現出させるのです。

 

私はまだまだ楽器が無いと立っていられません。昭男さんの問いかけは、海童道の問いかけと同じなのです。こころへの最高のご馳走の時間でした。

 

帰り道、新宿中央公園角の万年屋のところで信号待ちをしていたときに真妃の30歳の誕生日を迎え祝いました。5分後、ラムセスではジャンがシャンパンとお祝い本を持って待っていてくれました。私のプレゼントは昭男さん?いやいや、何か考えま~す。

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