シンガポール便り4 (本番を控えて)

それにしても興味深いマレー文化です。

 

この一年中かわらない熱帯気候のせいもあるのか、過去・現在・未来の動詞が同じで、副詞などで判断すること、複数形も単数形もあまりこだわらないこと、冠詞がないこと、自国の言葉をアルファベットで表現してしまうこと(もちろん固有の表記もありますが)などなど。

 

音楽で考えて見ます。ピアノで民謡やマレー音楽を弾くことを想定してみます。一気に10個もの音を同じ音色・倍音系で出されてしまうともうその世界から抜けにくくなります。その中で生きるしか道は無い。逆にその中で生きることが出来れば楽しく「美しい」。おまけに世界市場「ワールドミュージック」が待っていたりします。しかしマレー音楽はそうはしなかった。ハルモニウムも片手しか使えません。一方、弦などの単音で弾かれれば、オリジナルな感じを出す可能性は増えます。

 

マレー音楽で12音楽器を使っていることは、和音変化や転調が可能ということです。世界中の港から港へと栄えている街から街へ物資が運ばれます。そこには音楽も入っています。船員達は世界で流行っている音楽を聴いたり演奏したりします。港町では客人の新しい情報を求め、変化の乏しい日常に刺激を求めるのは自然でしょう。そういう「ポピュラー音楽」は簡単で印象的なコード進行とリズムを持っているモノです。ダンスもついてきます。

 

アトック・クーニンさんは、ラテン音楽が大好き、というか、自分の音楽と思っています。アンコールに何をやるか,ということになった時、急に弾き出したのがペレス・プラードの「タブー」でした。彼が若い頃この曲を演奏して多くのファンを作ったと言います。奥様もこれに惹かれたとも聞きます。84歳には思えない若い演奏でした。そういえば、出国前の竜太郎セッションのリハーサルでも竜ちゃんがこの曲のメロディを歌っていました。みなが覚える古典なのでしょう。かたやマレー音楽として身についているのがアラブ・アンダルシア音階にインドのリズム。これらが同居して棲み分けているのでしょうか。

 

一方、ザイ・クーニンがギターを弾くとき、普通のチューニングを替えて、一つあるいは二三のスケールだけでインプロをします。気軽な和音変化は出来ません。この方法は、韓国伝統音楽やインド音楽にも共通します。日本のお箏が1曲ずつチューニングを替えるのと似ています。替える時間が無いと曲ごとにあらかじめチューニングしておいた楽器を替えるのです。

 

私が、共演することになると、韓国のやり方は言ってみれば楽です。(もちろん方法のことで、中身のことではありません)ルートの音がわかり、チャンダン(リズム)がわかればある程度演奏できるのです。

 

自分が手にしている楽器が12音楽器で、さまざまな魅力的な音楽が港からドンドン入ってくる。やらないはずはないでしょう。人気が出ないはずが無い。

 

アトックさんとの2曲のデュオでは、Gm-F(時々Fm)-E♭-D7 というフラメンコ的に行くものと、Gm-Cm-D7の3コードで行く感じになりやすいです。その時にならないとわかりません。ついていくだけです。

 

西洋12音楽器を使っていると言うことで、コード変化のあるものを自然に求め、しかしコード変化の少ないものも必要で、しかも、12音におさまらないメロディとタイムを持ち、かつて大スターだったころの記憶もあり、なおも、音楽にすべてを求め、沈黙も欲しい、深い思索もほしい、というようなカオスにあるのがアトック・クーニンさんなのでしょうか。

 

いずれにせよ、私が失ったものをたくさん持っていらっしゃることは確実です。注意深く彼の音を聴き・待ち・信じることをしてこようと思います。公演3回。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です