シンガポール便り2

ご心配をおかけして申し訳ありません。こうやって書けている状態では心配ございません。「旅は若者を強くする」なんて言いますが「中高年も強く」します。優先順位の決定に厳しくなり(切り捨ても多いです)何としてもやらねばならぬ事は何とかしようとしています。ホテルの数少ない長所であるエアコンを切って、窓を開け、34度の空気を入れ、ザイに借りたハルモニウムでリハーサルの音源採譜をしています。

 

今やっている音楽についてあまり日本では情報も無いようですので、現場の感じからお伝えします。マレーの伝統音楽にはガザール、アスリ、ジョゲ、ザッピンなどの種類があるようです。アスリはガザールより古く横笛とパーカッションだけだそうです。(今回はガザール、アスリ、ザッピンを演奏します)

 

想像するに、そこに、インドの楽器が入ってきた。タブラ・ハルモニウム。そしてヴァイオリンも入ってきた。このあたりでガザールの基本ができたようです。今回のザイの父アトック・クーニン(84歳)のやりたいのはこの感じ。それにガンボス(リュート)などが加わりガザールの楽団になります。

 

なにしろ音階はアラブ・アンダルシア音楽、フラメンコと同じなのです。トニー・ガトリフ監督の「ラッチョ・ドローム」ではインドからアンダルシアまでのロマ(ジプシー)の流れを追ったすばらしいものでした。あ~、そうつながるのか!と日頃の疑問が解消しました。

 

しかし、アンダルシアから東への流れはここマレー半島まで繋がっています。インドまで届いた時点でスーフィズムの音楽としてヌスラット・アリ・ハーンなどの大スターを産みました。

 

さてここからがちょっとちがうように思います。インドまでの流れが悠々として人とモノの行き来を陸路で行ってきたとしたら、インドからマレーへは海路なのです。だから、タイやカンボジア、ラオスにはこの音階は育っていないのかもしれません。(スミマセン、詳しくないです。)

 

そうやってここマレー半島にアンダルシアからインドにいたる全影響が一気に運ばれているのかもしれません。「ラッチョ・ドローム以東」ような映画が撮れるのではないかしらん?

 

さて、ここからは推察です。以前から「なぜマレー人は自分の楽器を作らずにインドや西洋楽器をつかっているか?だから何か収まりきらない部分が残ってしまう。私にはそれが消化できず、しかし大事な部分なのだろう」と思っていました。韓国は何種類もの箏属を作り自在に発展しました。多くの民族が輸入してきた楽器を改良してきていると思います。

 

考えて見れば多くの楽器を陸路では運ぶことは出来ません。商売においては楽器は二の次三の次の商品でしょう。たまたま旅人が置いていった楽器を大事につかい、壊れては直し、どうしても欲しい人は自分で作り、時にはとても上手な人が現れ、などの過程を経る内に自分の体の中にある音を出すように改良していくのではないかと想像します。

 

船は大量の物資と人を一気に運ぶことが出来ます。マレーの人達はハルモニウムやタブラ、バイオリン、フルート、リュートが欲しい時、注文すれば良い楽器が即、手に入ったのではと想像します。

 

なんて書いたところでまた眠気が・・・

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