キッドアイラックアートホール、バールと久子の夜

実は、バールさんを成田に送り帰ってきたら常時使っていたパソコンが壊れていました。

 

バールツアーが終わるまで懸命に耐えていたのだと解釈しています。ありがとうございましたです。すぐに北海道ソロツアーにでたので、帰ってきてから丸3日復旧に相務めましたが、直感通り、ダメでした。パソコンの不調によるストレスはとてもイヤな感じなものですが、諦めきるまでに丸3日かかったのだなあ、と思います。

 

 

 

さてさて、どこから書けば?

 

 

 

キッドのセッションは、堀川久子さんとバールのデュオでした。昨年、北欧で「ベースとダンス」というフェスティバル!があり(それだけでもスゴイね)そこでお互いを知り、初共演を日本で、ということが経緯です。

 

 

 

前日の沖縄食堂での会食で期待を膨らませ、堀川さんは翌日早く小屋入り。照明の相談も済ませていました。バールも早く行くというので、とりあえず楽器運搬・搬入。4時間くらいあるので、私は一度、家に帰り、開場前に再び会場入り。少しは慣れたと言え、自分がしばしば演奏する場所へ行き、演奏しないというのは妙な気持ち。心配された集客も、大入りとなりホッと一息。

 

 

 

開演。バールが入場。なんというサイケなパンツをはいているのでしょう!こんな柄のものは滅多におめにかかれません。彼がカリフォルニア出身のフラワージェネレーションであることを思い出させます。それにしてもスゴイ柄。イヤー参った、参った。

 

 

 

一方の堀川さんはまったくの「素」。お化粧皆無。どこか妙に懐かしい「素」の人間でした。音に反応でき、先回りさえできています。実は、ダンサーの中には音楽に反応できない人が結構多いのです。音は自分を活かすための効果音と捉え、切ったり貼ったり、自分より目立っては決してダメ。堀川さんはまったく違いました。それだけで大変嬉しいです。バールが共演を所望したのもよくわかります。

 

 

 

声を使ったパフォーマンスは、ダンスより前から行っていたということです。この声もまったく「素」です。意味という化粧に捕らわれる以前の音としての声でした。身体も声も「素」であることがどんなに「ユーモア」があるかを気づかせてくれました。飾ることも効果をねらうこともツマラナイ、邪魔くさい。よく見てもらおう、上手なところをみてもらおう、聴いてもらおう、というところがゼロです。なんと気持ちの良いことか!そして、この種のダンスと音が今、本当に稀。そしてたいへんたいへんムズカシイことなのです。

 

 

 

1時間強の充実したステージ。高揚した気分で、いつものブックカフェ「塊多」で打ち上げ。私のホームグランド「ポレポレ坐」のスタッフは小学生時代から白州の「疎開」で堀川さんとはお馴染み。夏休みの1ヶ月毎日一緒に過ごしたのでした。「母」のようでしたよ、あっそう、私はそういう意識はまったくなかったわよ、などという会話もあり。

 

 

 

さて、最後のスペースフー3日を残すのみになりました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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