「いずるば」での映像・写真と次回「いずるば」案内

 

「いずるば」での映像・写真と次回「いずるば」案内

ベースアンサンブル弦311とジャン・サスポータスさんのコラボレーションはいつも楽しいです。双方のポジティブな面が普段以上に引き出され、ユーモラス(人間性に満ちた)な場面も多く出現します。ジャンも「このグループをヨーロッパに紹介したい」と言ってくれています。この組み合わせでツアーができたら良いのですが、まずもって楽器の移動が問題になります。
せめて国内で何カ所かやってみたいと思っています。可能性があったらお知らせください。ジャンの次回の来日予定は2月・8月(他は未定)。

この日、ジャンと同じブッパタールからArndt Gockisch さんが来日していて写真を撮ってくれました。
http://www.pixpoe.de/newslog/20120517-Tokio-Jean/

また芦刈純さんのプロデュースで撮影をしていた慶野さんが30分にまとめたヴィデオクリップをアップしてくれました。

「いずるば」は空間が汚れていないので大変すばらしいです。空間は持ち主そのものであって、その空間に来る人は持ち主に似ている、というのが私の経験上ほとんど当たっています。

10月24日にはここでバール・フィリップス+徹+高岡大祐+天田透という注目すべきセッションがあります。8月末に初演した徹・大祐・透のTrio Gamutはめざましいデビューでした。コントラバス・チューバ・コントラバスフルート、バスフルートなど低音楽器ばかりのアンサンブルで、即興的に音楽を紡いでいくわけです。倍音がそれぞれまったく違う低音楽器のアンサンブルは魅力にあふれています。

世の中で主役を張る楽器たちは、無意識のうちに低音や伴奏を「要求」します。なんでもいいから、私のソロを引き立たせてくれ〜!という感じ。(もちろんそうで無い奏者もいますよ、念のため。)そしてそれに応じると音楽は安定して聴きやすくなります。それが人間の知恵だったのしょうし、歴史なのでしょう。否定はしません。それはそれで、お任せします。

音楽を「快」と「不快」で判断するのも良いでしょうが、なぜ「快」「不快」に感じるのかをもう一回考えてみることは必要です。快に感じるようにあらゆる情報・技術を使って仕組まれたポピュラー音楽の巨大産業を思えばわかります。多くのアスリートが試合の前にヘッドフォーンで音楽を聴いています。あれは試合のことをアーダコーダ「考えないように」するためのもの。音楽は人を考えないようにするチカラがあるのを利用しているのです。パスカル・キニャールは音楽を愛するがゆえに「音楽の憎しみ」で親ナチにも使う事ができる音楽を糾弾しました。

低音楽器は高音も出すことができます。それはもういくらでもでます。低音楽器が苦労して出す高音と高音楽器が楽々出す高音は違います。その差は大事です。私たちは謂わば、スター楽器の後ろ姿を見ながら育ってきました。その分、世の中の仕組みがよく見えます。むやみに「叫び」ません。「泣き」ません。ただ「歌い」ます。ちょっとおかしい歌い方かも知れませんが・・・

そんな低音楽器が3種類揃ったわけです。それぞれ弦楽器・金管楽器・木管楽器の「王様」なのです。多くの音楽経験を経て、多くの音楽情報を身につけ、楽器ゆえにひどい目にもあってきて、ここに至っています。

それを50年やり続けているバール・フィリップスさんとセッションするのです。これはすばらしいことです。低音は世界を救う。

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