ドイツから5

朝早くスタッフのフィリップ君がドレスデン空港まで送ってくれる。彼にしても89年の大変動での思い出は相当なものがあるでしょうが、そこまで話せる時間はありません。いま、勉強しているという社会福祉の話しをしながら空港着。風の器の話は当然でました。
いつも誰かに頼りっぱなしですが、今日は一人でケルンの演奏現場にいかねばなりません。ドイツ語はビールの頼み方、精算の仕方しか知りません。のんきなものです。若い頃ぼーっとしていた時間に外国語をもっとやっておけば良かった、ホントに。無駄な勉強時間が膨大に有った気がします。
いろいろ人々に聞きながら約束の時間に現場到着。道に迷いかけた時にベースを背負った若者が遥か前方に見えたので追っていったらついたのでした。こちらは空間が広く、高いので、ベースを背負って運ぶ人が大多数です。日本ではどこへいくにも高さがないのでこの方法は無理。
大きな美術館の入り口で、セバスチャンやバールが満面の笑みで迎えてくれました。CD録音やDVD収録があり、ずいぶん前から売り切れで演奏家の家族も入場できないというような大きな催しであるようです。私は、ともかく行けばいいというのですからのん気な話です。すぐに、今日の五人のソリストの打ち合わせで、カフェに移動。バールとユーリッヒさん以外は初対面。ユーリッヒさんとは二十年くらい前、ナンシーのフェスティバルで会いました。私がよく使う「life is too short to complain」というフレーズは彼から教わったもの。
ともかく55人のベーシストの合奏です。バールにしてもこんなに大勢は初めてだそうです。十ページのチャートがあり、それに沿って約一時間の作品。軽いリハーサルをして、すぐに録音。その後すぐにLIVE。怒涛のような時間でした。日本でよくある「一般市民にもとっつきやすいように」などということは一切なく、五十五人が、ハーモニックスでヒーヒーやったり、弓を振り上げてシューという音を出したり、楽器の表面を擦ってチューチューという音を出したり。さすがにシュトックハウゼンの街です。

セバスチャンが、正式にペーターコヴァルトのメイン楽器を受け継いだというので私はその楽器を弾きました。セバスチャンは指揮に専念。さすがにペーターの楽器、ストロングでした。前夜のペーター追悼会は、とても感動的だったそうです。思えば、ペーター一人でどれだけの運動を起こしたか、運動は一人で起こせるということをペーターは示し、伝えています。
五十五人の中には、レコードコレクターとして知っていたセバスチャンさん(同名)もいました。四百枚を超えるソロベース中心のコレクションを一時売りに出しましたが、買いてがついてないということ。どなたか確実に管理できる方いらっしゃったら貴重なチャンスだと思います。バールの最初のソロLPは三種類持っていて、バールもびっくりでした。私に連絡ください。また、前回何回もお世話になったベースショップのダニエル クレスさんも演奏家として参加しています。聴衆の中にも知り合いが何人かいて話しかけてくれます。嬉しいものです。終了後、バールとレストランで食事。十月のツアーのシミュレーションをしました。やはり実際に会って話すのは大変有効です。実感もわいてきます。日本に持ってくるのと同じ楽器は、ネックが外れて大きめのスーツケースのように収納できます。私もそろそろ考えねばならないかな、と思ったりしました。
地元のインディーズレーベルの人も、ガット弦愛好家も合流して大いに話が弾みました。セバスチャンは、あんなに大きな仕事をした直後に二つもセッションがある、ということで不参加。本当によく働きます。かつての横浜ジャズプロムナードのようなケルンのイヴェントでしかも一日だけなので、毎年この日だけは一日に三本くらい演奏があるとのこと。
バールと二人でタクシーでセバスチャン宅へ先に帰り就寝。何という一日!

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