ジャッキーとアーヘンの教会で

ジャッキー・ジョブと工藤丈輝とアーヘンの教会で
明日、お盆の真っ最中で混み合った成田から、上海・フランクフルト・デュッセルドルフで乗り換えして最後は鉄路でアーヘンに行きます。
結構キビシイ旅程、仕事はこの「across the border 」というフェスティバルだけ。ジャッキーと私と工藤丈輝で「サンニンタンゴ」という演目で即興演奏をアーヘンの教会でやります。本番19日。
なぜこんな過酷な条件の仕事を受けたかというと「東電と政府」のせいなのです!?
ジャッキーは南アフリカ人。母親はケープタウンのマレーコミュニティ出身。イギリスでダンスを身につけ、日本にやってきました。キレイなクイーンズイングリッシュを話します。日本では当然のように「アフリカンダンス」を期待されてしまう、とか、ケープタウンでは舗道にキリンがあるいているんでしょう?などの質問に辟易しながらも、なぜか日本を愛し滞在を続けていました。
私とは何回も共演。青森県美術館でのシャガールの幕絵に囲まれたパフォーマンスやポレポレ坐「徹の部屋」第1回のゲストとか、エアジンでのAA会議(アジア・アフリカ会議イン横濱)でのザイ・クーニンとのトリオなどが強く印象に残っています。その後、ザイとは連絡を取り合い、ジャッキーの母方の故郷マレーにほど近いシンガポールでジャッキーのソロ公演をしました。どんな心情だったでしょう。
フランスの嫌いなフランス人写真家 セドリックさんとの間にパロマちゃんも東京で生まれました。仕事で忙しい両親のため、青山の公立保育園に通っていました。ジャッキーは普通のママのように自転車二人乗りで送っていました。園児達と日本語で堂々と渡り合っているパロマちゃんを見たことがあります。
そして311です。幼児に放射線は影響が大きいと言うことで東京を諦め、ケープタウンに一家で移住しました。本当に残念そうでした。最後のパフォーマンスになってしまったスーパーデラックスでの弦311とジャン・サスポータスとのギグを本当に大事に思ってくれました。
私がお詫びをする筋でもありませんが、そんな気持ちもあり、明日昼出国です。

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